読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

苦海浄土

「国会派遣議員調査団が来る前夜、彼が、「明日は市長に、水俣市としてリッパな挨拶ばしてもらいまっしゅ_」と渡辺総務部長と考えた時_崩れかかった突堤を走り回り、ごうごうと漲って満水しつつある川面を見つめ続けて来た出水時のあの、村々に生き続けて来た水門見回り世話方たちの気持ちが、一種の戦慄を伴って、満きたっていたにちがいない。」



「漁民たちは左手正門から乱入しつつあった。石を拾い、事務所とおぼしい窓に投げている。それはなんと壮絶な破壊音だったろう。叫び声。窓に飛び入る。窓の内側から、椅子が飛び出した。机も。それをかかえあげて、排水溝めがけて投げ入れる。事務所横にならべてある自転車も。

こんちきしょう!こんちきしょう!
こげん溝!
うっとめろ!
うっとめろおっ__

そう漁民たちはいっているのだ。

〇昭和28年に患者が出て、それにも関わらず、この時点(昭和34年)で、まだ「汚染排水」が止められていないのです。
誰だって、この漁民たちと同じ気持ちになります。

今もタンクに貯められ並べられている福島の汚染水を思います。
トリチウム」は放出されているそうです。



「工場のまわりの道路は、たちまち物音をききつけてはしってきた市民でぎっしりになった。(略)

「代表ば出せ、やい、いちばんえらか奴ば出せ!」とどなっている。」

「漁民たちは午前中の陳情から見て、状況は一歩前進したと判断していた。
しかしその数日前、水俣漁協組合員に暴れ込まれた工場は、不知火海漁協が正門広場に到着する目の前で、鉄条網の補強工事をしており、門を閉ざし、会見に応ぜぬそぶりを見せたのであった。

このことは先頭にいた者たちをいちじるしく刺激し、屈強の者たちが激昂して門をよじのぼり、内側からこれをひきあけたのであった。」


「漁民たちは自ら傷つき、つかれ、そして孤独な眸をしていた。」


水俣騒動の背景(十一月四日熊本日日新聞
衆議院水俣病調査団が水俣市に着いた二日、不知火海沿岸漁民約二千人と警官隊三百人が新日窒水俣工場で激突、漁民の血が、警官の血が流された。問題は漁民と工場の関係だが、この最悪事態は避けられなかったのだろうか。(M)」


「〇……しかし問題の本質はむしろ他にある。水俣病対策が今日までほとんど放置された状態にあったことがこの事態をまねいたといえよう。(略)


寺本知事が就任後はじめて水俣病の現地をみたのも、何と調査団が水俣に行く一日前だった。(略)


”誰もかれもが漁民を見捨てていたのだ。少なくとも、誰もこの問題に真剣に取り組んだものはいなかった”というのはいいすぎだろうか。」

〇しつこいようですが、「自然に任せる」「何もしない者が中心にいるやりかた」が私たちの国のやり方だとすれば、こういう事態になるのは、当然だと思います。

このやり方を変えるには、「中空構造」の逆を意識的にやるしかないと思います。


「公務執行病害などは普通現行犯で逮捕しているのだが、岩下水俣署次長は漁民を説得中、漁民からなぐられアゴに二十日間の重賞を負いながら犯人を逮捕しなかった。」

〇この岩下水俣署次長の間隔の方がむしろ人間として普通だと思います。




「このとき担当工場幹部が浄化槽の水をコップに組んでのんでみせたところを、漁民たちは嘲笑したが、固型残滓を沈殿させるこの方式の浄化槽の上澄み水を海に送るといっても、無機水銀が水溶性でみかけだけ澄んだ水に溶けた無機水銀がそのまま流入することを、


工場技術陣が知らぬ筈はなく、完工式は世論をあざむく応急処置であったことが後に判明する。」


水俣病患者互助会五十九世帯には、死者にたいする弔慰金三十二万円、患者成人年間十万円、未成年者三万円を発病時にさかのぼって支払い、「過去の水俣工場の排水が水俣病に関係があったことがわかってもいっさいの追加補償要求はしない」という契約をとりかわした。

〇「公序良俗」という言葉があるけれど、「過去の水俣工場の排水が水俣病に関係があったことがわかってもいっさいの追加補償要求はしないという契約」というのは、その公序良俗に反しないのだろうか。