読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

苦海浄土

「それでも、骨だけになった彼の腕と両脚を、汐風に灼けた皮膚がぴったりとくるんでいた。顔の皮膚の色にも汐の香がまだ失せてはいなかった。

彼の死が急激に、彼の意に反してやって来つつあるのは彼の浅黒いひきしまった皮膚の色が完全にまだ、あせきっていないことを、一目見てもわかることである。

真新しい水俣病特別病棟の二階廊下は、かげろうのもえたつ初夏の光線を透かしているにもかかわらず、まるで生ぐさい匂いを発しているほら穴のゆおうであった。

それは人びとのあげるあの形容しがたい「おめき声」のせいかもしれなかった。」



「彼には起こりつつある客観的な状勢、たとえば_水俣湾内において「ある種の有機水銀」に汚染された魚介類を摂取することによっておきる中枢神経系統の疾患_という大量中毒事件、


彼のみに絞ってくだいていえば、生まれてこのかた聞いたこともなかった水俣病というものに、なぜ自分がなったのであるか、いや自分が今水俣病というものにかかり、死につつある、などということが、果たして理解されていたのであろうか。」


「ただ気配で、まだ死なないでいるかぎり残っている生きものの本能を総動員して、彼は侵入者に対きあおうとしていた。

彼はいかにもいとわしく恐ろしいものをみるように、見えない目でわたくしを見たのである。」



「そして、くだんの有機水銀とその他”有機水銀説の側面的資料”となったさまざまの有毒金属類を、水俣湾内にこの時期もなお流し続けている新日窒水俣工場が彼の前に名乗り出ぬ限り、

病室の前を横ぎる健康者、第三者、つまり彼以外の、人間のはしくれに連なるもの、つまりわたくしも、告発をこめた彼のまなざしの前に立たねばならないのであった。」


「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。」



「ここではすべてが揺れていた。ベッドも天井も床も扉も、窓も、揺れる窓にはかげろうがくるめき、彼女、坂上ゆきが意識をとり戻してから彼女自身の全身痙攣のために揺れつづけていた。」



「う、うち、は、く、口が、良う、も、もとら、ん。案じ、加え、て聴いて、はいよ。う、海の上、は、ほ、ほん、に、よかった。」

〇この言葉と、その後に続く滑らかな熊本弁を比べてみた時に、この石牟礼道子さんが、この短い、聞き取りにくい言葉を、どれほど頑張って聞き捕ったのか、

そして、その言葉と言葉の間から、あれだけ多くの言葉を汲み取って、この本が出来上がったんだ、とわかります。


「足も地(じだ)につけて歩きよる気のせん、宙に浮いとるごたる。心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ。

ただただじいちゃんが恋しゅうしてこの人ひとりが頼みの綱ばい。働こうごたるなあ自分の手と足ばつこうて。

海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。」


「ゆきは前の嫁御にどこやら似とる、と茂平はおもっていた。口重い彼はそんなことは気ぶりにも出さない。彼がむっつりとしているときは大がい気分のいいときである。

ゆきが嫁入ってきたとき、茂平は新しい舟を下ろした。漁師たちは、ほら、茂平やんのよさよさ、舟も嫁ご、も新しゅうなって!と冷やかしたが、彼はむっと口を引き結んでにこりともしなかった。

彼の気分を知っている人びとは満足げな目つきで、そのような彼を見やったものである。」


「うちが嫁にきたとき、じいちゃんが旗立てて船下ろしをしてくれた舟じゃもん。我が子とかわらせん。うちはどげんあの舟ば、大事にしよったと思うな。艫も表もきれいに拭きあげて、たこ壺も引き上げて、次の漁期がくるまではひとつひとつ牡蠣殻落して、

海の垢がつかんようにていねいにあつこうて、岩穴にひきあげて積んで、雨にもあわさんごとしよった。壺はあれたちの家じゃもん。さっぱりと、しといてやりよった。

漁師は道具ば大事にするとばい。舟には守り神さんのついとらすで、道具にもひとつひとつ魂の入っとるもん。敬うて、釣竿もおなごはまたいでは通らんとばい。

そがんして大事にしとった舟を、うちが奇病になってから売ってしもうた。うちゃ、それがなんよりきつかよ。」


「やっと口をぱくぱくしながら、じいちゃん、あの煙草が欲しかとよ、ちゅうたら、じいちゃんが泣いて、好きなものなら、今のうちにのませてもよかじゃろちゅうて、そんときからちいっとずつ、吸わせてくるるようになった。

それでも一日三分の一本しか吸わせてくれんもん。」


「うちは元気な体しとったころは歌もうたうし、ほんなこて踊りもおどるし、近所隣の子どもたちとも大声あげて遊ぶような、にぎやかわせるのが好きなたちだったけん、うちはもう、こういう体になってしもうて、自分にも人にも大サービスして、踊ってされきよるわけじゃ。」


「どのようにこんまか島でも、島の根のつけに岩の中から清水の湧く割れ目の必ずある。そのような真水と、海のつよい潮のまじる所の岩に、うつくしかあをさの、春にさきがけて付く。

磯の香りのなかでも、春の色濃くなったあをさが、岩の上で、潮の干いたあとの陽にあぶられる匂いは、ほんになつかしか。

そんな日なたくさいあをさを、ぱりぱり剝いで、あをさの下についとる牡蠣を剥いで帰って、そのようなだしで、うすい醤油の、熱いおつゆば吸うてごらんよ。

都の衆たちにゃとてもわからん栄華ばい。あをさの汁をふうふういうて、舌をやくごとすすらんことには春はこん。

自分の体に二本の足がちゃんとついて、その二本の足でちゃんと体を支えて踏んばって立って、自分の体に二本の腕のついとって、その自分の腕で櫓を漕いで、あをさをとりに行こうごたるばい。うちゃ泣こうごたる。もういっぺん_行こうごたる、海に。」

〇この小説は海の小説だなぁと思います。