読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

苦海浄土

「あねさん、この杢のやつこそ仏さんでござす。
こやつは家族のもんに、いっぺんも逆らうちゅうこつがなか。口もひとくちもきけん、めしも自分で食やならん、便所もゆきゃならん。それでも目はみえ、耳は人一倍ほげて、魂は底の知れんごて深うござす。

一ぺんくらい、わしどもに逆ろうたり、いやちゅうたり、ひねくれたりしてよかそうなもんじゃが、ただただ、家のもんに心配かけんごと気い使うて、仏さんのごて笑うとりますがな。

それじゃなからんば、いかにも悲しかよな眸ば青々させて、わしどもにゃみえんところば、ひとりでいつまっでん見入っとる。


これの気持ちがなあ、ひとくちも出しならん。何ば思いよるか、わしゃたまらん。」


「しかし考えてもみてくだっせ。わしのように、いっしょうかかって一本釣の舟一艘、かかひとり、わしゃ、かかひとりを自分のおなごとおもうて_大明神さまとおもうて崇うてきて_それから息子がひとりでけて、それに福ののさりのあって、三人の孫にめぐまれて、家はめかかりの通りでござすばって、雨の漏ればあしたすぐ修繕するたくわえの銭は無かが、そのうちにゃ、いずれは修繕しいしいして、めかかりの通りに暮らしてきましたばな。


坊さまのいわすとおり、上をみらずに暮らしさえすれば、この上の不足のあろうはずもなか。漁師ちゅうもんはこの上なか仕事でござすばい。」



「あねさん東京の人間な、ぐらしか(かわいそうな)暮らしばしとるげなばい。話にきけば東京の竹輪は、腐った魚でつくるげな。炊いて食うても当たるげな。

さすれば東京に居らす人たちぁ、一生ぶえんの魚の味も知らず、陽さまにも当たらぬかぼそか暮らしで、一生終わるわけじゃ。

わしどもからすれば、東京ンもんは、ぐらしか。鯛にも鯖にも色つけて、売ってあるちゅう話じゃが。」



「そら海の上はよかもね。
海の上におればわがひとりの天下じゃもね。」



「会社さえ早う出けとれば、わしげの村の人間も、唐天竺の果まで売られてゆかんでもよかったろに。しゃりむり女郎にならんちゃ、おなごでも人夫仕事なりとありだしたものを。(略)


わしゃ今もわすれんが、おすみという色の白か顔のまるいみぞかおなごが、わしげの村におって、そのおすみが、わしげの家にゃ判人の来らいたちゅうて晩にはだしで、わしげのかかさんのところに泣いてきた。

そこでわしげのかかさんは貰い泣きをして、

_判人が来てふた親が判をついたからには、もうしょうがなか。おまや人より魂の多か娘じゃけん、小母やんがいうことばをようききわけろ。」




「せめてならまちっと早うに水俣に会社の出けとれば、水俣も港のひらけて、おなごどものおる家もふゆれば、おすみも行く先もわからん志那に売られてゆかずに、せめて近か水俣の女郎屋に渡ってきておれば、


ちらりとなりと店の前をのぞくことがでけて、そのうちにゃ、わしも銭もため得たかもしれん。

玄界灘を渡っていく先もわからんところに、はっててしもうた。」


「あねさん、わしゃこの杢めが、魂の深か子とおもうばっかりに、この世に通らんムリもグチもこの子にむけて打ちこぼしていうが、五体のかなわぬ毎日しとって、かか女の恋しゅうなかこたあるめえが、

こいつめは、じじとばばの、こころのうちを見わけて、かか女のことは気ぶりにも、出さんとでござす。

しかし杢やい、おまや母女に頼る気の出れば、この先はまあだ地獄ぞ。」