「潮の回路の中にあらわれるように、わたくしの日常の中に、死につつあるひとびとや死んでしまったひとびとが浮き沈みする。
ひとの寝静まっている夜中に、まるで、きゃあくさったはらわたを吐き出すような溜息を吐くな!と家人たちがいう。
自分が深い深いほら穴に閉じこもっていることをわたくしは感じ出す。」
「昭和六年、熊本陸軍大演習。(略)
会社に、新日窒工場に、かしこくも天皇陛下さまがおいでなさるから、祖母を、(私たちは婆さまとよんでいた)会社の沖の恋路島に連れてゆく、というのである。不敬に当たるから舟に乗せて連れてゆく、いうことをきかなければ縛ってでも連れてゆく_。
女乞食の、ふところにいつも犬の子をむくむくと入れ歩いている、犬の子節ちゃんも、小田代くゎんじん殿も、仏の六しゃんも、もうみんな舟に乗せて縛って連れて行ったという_。
恋路島では泳ぎ渡らぬよう見張りをつけて「めしだけはお上のおなさけで、腹のへらぬごと食わせてやる」という_。
脳を病んでいた祖母がききわけるはずもなく、まして肉親に合点のいくはずはなく
「あやまちのあれば切腹しますけん」
と父が約束して、その日わが家では表戸に釘打ちして謹慎し、めくらの祖母はその日も無心に椿油の粕を煮立てて、白い蓬髪をあらってはまろいつげの櫛ですき流し、
いつもしているよう古びた白無垢を胸に抱いて、幾度も幾度も袖だたみしながら、やさしいしわぶきの声を立てていた。」
「すこしもこなれない日本資本主義とやらをなんとなくのみくだす。わが下層細民たちの、心の底にある唄をのみくだす。それから、故郷を。
それらはごつごつ咽喉にひっかかる。それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる。
それらをいっしょくたにして更に丸ごとのみこみ、それから…。
茫々として、わたくし自身が年月と化す。」
ふかい、亀裂のような通路が、びちっと音をたてて、日本列島を縦に走ってひらけた。なんと重層的な歳月に、わたくしたちはつながれていることであろう。」
「亀裂の通路を走って、新潟に飛んだ富田八郎氏と宇井純氏からの情報がとどく。
そして昭和四十三年がくる。」