〇昨日読み終わりました。途中から涙ばかり出ました。
あぁ、人間の質が私とは完全に違う、と思いました。
メモはもう少し続けようと思っています。
「「(略)これを見て。あなたのために服をみつけてきたのよ。これを着たら、ウィットニーが午後来たときに、あなたのオーバーオールをコインランドリーで洗ってきてくれるわ」
シーラはコーデュロイのズボンを慎重につまみあげて、じっと眺めていた。「おとうちゃんは、あたしにこれを着させてくれない。うちじゃあ施しは受けないことになってるんだ」
「そう、わかったわ。じゃあ、あなたの服が乾くまでの間だけ着ていればいいわ。それでいいでしょ?」」
〇中学生のウィットニーがなぜこのクラスにいるのかな、と思っていました。
きちんと説明されているわけではないのですが、多分、彼女は情緒障害と「正常」の境界ぐらいにいる人なのかもしれない、と思いました。
そういう子が、一般教室でみんなと一日中過ごすと、自分が「出来ない」ということだけが心に刻みつけられてしまう。
そこで、午後だけ、このクラスを手伝うことがカリキュラムに入っているのかもしれません。
とてもいいアイディアだと思います。
私も昔、「精薄施設」で働いたことがあるのですが、こんな私でも、人の役に立てる、と力をもらいました。
あの、河合氏が「母性社会日本の病理」の中でスイスの教育を例にあげて言ってた、その子に合った教育をするというポリシーが感じられます。(私の一方的な考えかも知れませんが)
「「おとうちゃんはそんなことしないよ。おとうちゃんはあたしをひどく痛い目にあわせたりしない。あたしのこと大好きだもん。
あたしをいい子にしようと思って、少しくらい叩くことはあるけど。子供にはそういうことをしないといけないんだって。でも、お父ちゃんはあたしのこと大好きなんだよ。あたしはただ不器用だから、しょっちゅう傷をつくっているだけだよ」
挑みかかるような口調だった。」
「(略)おかあちゃんはあたしよりジミーのほうが好きなんだ。だから、ジミーを連れて行ってあたしを置いていったんだよ。ジミーをここのクラスに入れればいいのに。あの子はあたしみたいに悪いことはしないから」
私はシーラを抱き寄せた。「シーラ、私が欲しいのはあなたなのよ。ジミーじゃないわ。彼にもいつか先生が現れるわ。私は子どもが何をしたかなんて気にしないの。ただ子供が好きなのよ。それだけよ」
「五日目の金曜日、シーラはまだ他の子どもたちとは誰ともしゃべらなかったが、直接質問をされると大人とは誰とでもしゃべるようになっていた。」
「だから、この小さな子が_それまで他の子と一言もしゃべらず、あれだけ協調性がないという折り紙付きだった子が_手を上げて立っている姿を見て、心臓が止まるかと思ったほどだった。
「シーラ、何かいい考えがある?」
「ぐるっとまわるっていうのはどう?」彼女はおずおずといった。
そこで私たちはぐるっとまわって歌った。第一週は大成功のうちに終わった。」
「続く何週間かの間にシーラは教室で活発になっていった。彼女はしゃべりはじめた。最初は遠慮がちに、それから心おきなく。シーラはいろんなことをよく考えていて、機会を与えられるといちばんはっきりと自分の意見をいえた。
教室に言葉ではっきり表現できる子供がいることがうれしかった。」