「シーラと私が二人っきりになる放課後の二時間の間に、私は本の読み聞かせを始めた。シーラはほとんどの本を一人できちんと読めたが、特別に彼女と親しくする時間を持ちたかったし、私の好きな本を彼女と一緒に読みたいと思ったからだった。
本の中に出てくる事がらを話し合う必要もあった。というのも、シーラは子どもとして経験すべきことを経験していないので、理解できないことがいっぱいあるということがわかったからだ。
これは彼女がその言葉の意味を知らないということではなく、その言葉が実生活でどういうことを意味するのかまったくわからないということだった。
例えば”シャーロットの贈り物”を読んでも、シーラはどうして主人公の少女が育ちそこないの子豚のウィルバーをそもそも欲しがるのかをずっとわからないでいた。
ウィルバーは一緒に生まれた子豚たちの中でも、いちばん貧弱な豚ではないか。シーラの頭の中では、彼女の父親ならこの子豚はぜったいに欲しがらないだろうということははっきりと理解できることだった。
ファーンは、その子豚がちっぽけで、育ちそこないなのはどうすることもできないことだから、だからこそその子豚が大好きなのよ、と私は説明した。だがシーラにはそこのところが理解できなかった。
彼女は適者生存の厳しい世界で生きてきたのだから。」
〇シャーロットの贈り物は題名とアニメ映画しか知りません。そして、私もこの本の理解は、シーラ並だと思います。なぜ、育ちそこないで貧弱な子豚を欲しがるのか、私にもわかりません。
「「星の王子さま」は短い本なので、三十分もしないうちにほとんど半ばまできてしまった。例のキツネがでてくる場面になると、シーラは今まで以上に熱心になった。(略)
「ぼくと遊ばないかい?ぼく、ほんとにかなしんだから…」と、王子さまはキツネにいいました。
「おれ、あんたと遊べないよ。飼いならされちゃいないんだから」と、キツネがいいました。
「そうか、失敬したな」と王子さまがいいました。
でも、ジッと考えたあとで、王子さまは、いいたしました。
「<飼いならす>って、それ、なんのことだい?」
※
「よく忘れられてることだがね。<仲よくなる>っていうことさ」
「仲よくなる?」
「うん、そうだとも。おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と別に変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。
あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。
あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ…」
※
「おれ、毎日同じことして暮らしているよ。おれがニワトリをおっかけると、人間のやつが、おれをおっかける。ニワトリがみんな似たりよったりなら、人間のやつが、またみんな似たりよったりなんだから、おれは、少々たいくつしてるよ。
だけど、もし、あんたが、おれとなかよくしてくれたら、おれは、お日さまにあたったような気もちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、きょうまできいてきたのとは、ちがったのがきけるんだ。ほかの足音がすると、おれは、穴の中にすっこんでしまう。
でも、あんたの足音がすると、おれは、音楽でもきいてる気持ちになって、穴の外へはいだすだろうね。それから、あれ、見なさい。あの向こうに見える麦ばたけはどうだね。おれは、パンなんか食はしない。麦なんて、なんにもなりゃしない。だから麦はたけなんか見たところで、思い出すことって、なんにもありゃしないよ。
それどころか、おれはあれ見ると、気がふさぐんだ。だけど、あんたのその金色の髪は美しいなあ。あんたがおれと仲よくしてくれたら、おれにゃ、そいつが、すばらしいものに見えるだろう。
金色の麦をみると、あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな…」
キツネはだまって、長いこと、王子さまの顔をじっと見ていました。
「なんなら…おれと仲よくしておくれよ」と、キツネがいいました。
「ぼく、とても仲よくなりたいんだよ。だけど、ぼく、あんまりひまがないんだ。
友達も見つけなけりゃならないし、それに、知らなけりゃならないことが、たくさんあるんでねえ」
「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物をかってるんだがね。
友だちを売りものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだから、人間のやつ、いまじゃ、友だちなんか持ってやしないんだ。あんたが友だちがほしいんなら、おれとなかよくするんだな」
「でも、どうしたらいいの?」と王子さまがいいました。
キツネが答えました。
「しんぼうが大事だよ。最初は、おれからすこしはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目でみる。あんたは、なんにもいわない。それも、ことばっていうやつが、勘ちがいのもとだからだよ。一日一日とたってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへきて、すわれるようになるんだ…」
シーラはそのページに手を置いた。「もう一度読んで。いい?」
私はその部分をもう一度読んだ。彼女は私の膝の上で身体をねじって、私の顔を見、じっと長い間私の目をみつめた。
「これ、トリイがやってることなの?」
「どういう意味?」
「これ、トリイがあたしにやってることなの?あたしを飼いならしたの?」
私は笑みを浮かべた。(略)
私は信じられない思いで微笑んだ。「そうだったのかもしれないわね」」
〇「星の王子さま」は、書名が有名なので、たしか中学生頃に読んだと思います。でも、はっきり記憶しています。全然、何も感じませんでした。何か意味のあることを伝えようとしている本なのだ、ということはわかりました。
でも、私には少しも面白くなかった…。そのことが、ちょっとショックでした。
私には理解する力がないんだな、と思いました。
でも、その後、ずっと後になって、以前も書いた、野良猫を飼いならそうとした経験は、まさに、ここでこのキツネが言っているとおりのことでした。
それを飼いならしたからといって、なんのメリットもないような、十万の中の一匹の野良猫を、「しんぼうして」「一日一日と、だんだん近いところへきて」
その猫は、私にとって、この世でたった一匹の、かけがえのない猫になりました。
そして、ただのどこにでもいる猫なのに、この世でたった一匹の猫になるという不思議を自分の中にしっかり意識したとき、この話を思い出しました。
この話は、そういうことを言ってたんだ…と。
そして、この中の「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。…」
って、言葉もそんな私に言われたような言葉です。
でも、そんなことを考えながら、ここを読んでいる時に思い出したのが、あの河合氏が、「中空構造日本の深層」(リンクがうまく行かなくなったので、日付を入れます。2018/2/2(金) 午後 9:51)の中で言っていた言葉です。
「人間がこの世に真に「生きる」ためには、個々人にふさわしいメタファーの発見と、それの解読を必要とする。ところが実情は、既に述べたような現代の管理的な社会機構によって、メタファーは全体の構成から段々と排除されつつある。それが現在生き残っているのは、むしろ文化の周辺部に存在する、マンガ、SF、コマーシャルなどの世界ではなかろうか。」
シーラは、まさにこのメタファーを見つけて、「心の基盤」のようなものが出来たように見えます。ひょっとして、河合氏が言いたかったのは、そういうことだったのかな、と思いました。
また、この本の中のどこかに、「大人が子供の本を読む時代がくる」というような文章があったような気がします。引用します。
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「ここまで書いてきて、筆者にはっきりと解ったことは、「うさぎ穴」とは、トムやモモたちのように、真実を見る力をもった透徹した「子供の目」ではないか、ということである。」
そういう時代が、もう鼻の先まで来ているように、私には思われる」と述べている。
透徹した「子供の目」を通して見た「うさぎ穴」を描いた文学が、老若男女を問わず、すべての人々に読まれるようになることを願って、筆をおくことにしたい。」
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「中空構造日本の深層」の一番最後に書かれていました。
生きる意味など少しも必要なく生きる人もたくさんいるのでしょうけれど、私は、必要とする人間なので、こういう本が、嬉しいのだと思います。
「「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね…」
〇「めんどうをみたあいてには、いつまでも責任がある」これは、確かにサン・テグジュペリの言葉です。そして、シャーロットの贈り物の作者は誰か私は知らないのですが、あの、貧弱な子豚だからこそ欲しがるという考え方も、その作者の主張でしょう。
でも…と敢えて言いたいのですが、これは、間違いなく、どちらも、聖書の中にある精神です。
そういう意味では、西洋人はいつもこの「メタファー」を心の基盤にして、生きているんだ、と私は思いました。
「彼女の水色の目が私を見た。「なんであたしのことをいろいろ気にするの?どうしてもそれがわからないんだよ。なんであたしを飼いならしたいの?」
私の頭はめまぐるしく動いていた。教育学の授業でも、児童心理の授業でも、こんな子供がいるなんて誰も教えてくれなかった。私には心の準備ができていなかった。何とか正しいことがいえればいいのだが…そう思えるようなひとときだった。
「そうね、べつにちゃんとした理由なんかないんだと思うわ。ただそうなっちゃったのよ。」
「キツネみたいに?あたしを飼いならしたいまは、あたし、特別の子?あたし、特別の女の子?」
私はにっこりした。「ええ、あなたは私の特別の子よ。キツネがいってるみたいに、あなたを友達にしたからには、あなたは世界じゅうでただ一人の子よ。きっとあなたのことを私の特別の子にしたいとずっと思っていたんだと思う。
だからこそ、あなたを飼いならしたんだと思うわ」
「あたしのこと、愛してる?」
私はうなずいた。
「あたしもトリイのこと大好きだよ。世界じゅうでいちばん特別の最高の人だよ」」