読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 上 (ロッド空港事件と内務班)

 
山本七平著 「私の中の日本軍 上」を読んでいます。
 
前に少し書いたのですが、いわゆる軍人の精神構造の中には、私自身の中にも同じものがある、と思えるものがあって、そこをもう少し考えてみたいと思います。
 
引用文は「」で、感想は〇で記入します。
 
「私は大学騒動なるものをよく知らない。しかし「罵声」「ツルシあげ」「リンチ」「法政大学のリンチ殺人事件」「虐殺の森の総括」と跡をたどって行くうちに、自分が、最も恐ろしくまた嫌悪すべき経験、思い出すだけで慄然としてくるある情景を、無意識のうちに記憶から拭い去っていたことに気がついた。
 
一番いやなことは、やはり、自分の記憶から消してしまうらしい。だがそれでも消すことのできない「傷痕を胸中に残し」ていたのだ。
 
 
山岳アジトで、真夜中の二時に、うすぐらいロウソクの灯の下で行われた「総括」と、古いすすけた木造兵舎の、暗い裸電球の光の下で行われたあのリンチ_当時の軍隊語でいう「私的制裁」とは同じではなかったのだろうか。
 
 
確かにあれは単なる暴行ではなかった。「総括」を命ぜられて処刑されたのだ、直接的には死刑にされなかったとはいえ。
 
 
横井さんの、出てきた直後の恐怖を、単に軍法会議への恐怖と解すべきであろうか。そうは思えない。
何か小さな失策をした場合、たとえ公の制裁(たとえば重営倉のような)がないことはわかっていても、内務班で待ち受けている私的制裁を思っただけで足がすくむような思いをしたのは、私だけであるまい。」
 
 
 
「彼によると「日本軍の捕虜は、いったん喋り出すと実によく喋る。何も聞かないでも喋る。ただそこまで誘導するには術がいるが、結局、何もかも話せばアメリカ軍の中に置いておく、だが黙秘したり嘘をついたりしたら、中立国経由ですぐ日本に送り返す、といえばいい。
 
本当ですかと相手は念を押すから、その時には前に捕虜になっていた日本兵に、本当だと保証させればいい。
 
 
ここまでくれば、何もかも洗いざらいに話してしまう」のだそうである。
 
 
この点でも岡本公三は同じらしい。新聞によると彼は「イスラエル警察の取り調べに対し「イスラエルの司法当局よりアラブ・ゲリラ運動の私の仲間の方がもっと恐ろしい」と供述」したという。
 
 
この「恐ろしい」がもしリンチを意味するなら、旧軍隊と何もかもあまり似すぎているようで、かえって気味が悪い。」
 
 
「ではお前はどう思うのかと問われれば、私は自分の体験からしか判断できないが、私には、旧軍隊のリンチ、殺人までおかした大学の運動部のリンチ、ゲバ学生のリンチ、「恥の町」王子ストのリンチ、
 
 
および日本軍による虐殺、ロッド空港の虐殺、これらはすべて、どこかで関係をもつ同質の事件で、この同質のものが、戦前にも戦後にもあるのだとしか思われないのである。」
 
 
「だが命令は守られなかった。天皇の軍隊であるにも関わらず、陛下の命令をもってしても、リンチ、すなわち私的制裁をやめさせることは出来なかったのである。
 
天皇の命令が完全に無視されていたことが、もう一つある。それがなんであったか、聞いた人がおそらく耳を疑うであろう。
 
 
鉄の軍紀の根幹であるはずの階級そのものが、少なくとも兵隊の社会では完全に無視されていた。(略)
 
表向きは何であれ、実際には二年兵の上等兵は三年兵の一等兵に絶対に頭があがらない。」
 
 
「私的制裁もタン助に似て、ありうべからざるものが厳然として存在しているのに、絶対だれも手をすれようとせず、これをよけて通っていた面である。
 
そしてもしこれに手を触れれば、外面はともかく、実際には内在している現実の秩序付けが崩壊してしまいそうで、それがおそろしくてだれも手を下せず、顔をそむけながら消極的に肯定しているといった感じがあった。」
 
 
「当時多くの者が何とかして兵役を逃れたいと内心思っていた現実的な理由は、このリンチの噂であった。従ってこれを「軍民離間の元凶」としたのは正しい。
 
多くのものは、軍隊そのものよりも、むしろリンチを逃れたかったのである。」
 
 
〇最近、「赤紙」を受け取るドラマを見ると、その裏に、このリンチと人肉を食べ合う飢えと、バシー海峡の虐殺のシーン https://blogs.yahoo.co.jp/nosuri7/archive/2018/01/16が重なります。
ああ、この人もその中に入れられるのだと。
 
 
「そのとき、通常、二年兵の先任上等兵によって、その日の「総括」がはじまるわけであった。まさに「総括」であった。赤軍派が「……車の調達でもたついたり、自動車運転のミス、男女関係の乱れなどをとがめ「革命精神の不足」と断定して」総括にかけたように、「近ごろのショネコー(初年兵)は全くブッタルンデやがる」に始まり、
 
 
あらゆる細かいミス、兵器の手入れ、食器の洗浄、衣服の汚れ、毛布のしわ、落ちている飯粒、編上げ靴の汚れ等々、一つ一つのミスをあげてその一日を文字通り総括し、革命精神ならぬ「「軍人精神の不足」と断定して」、そこで私的制裁すなわちリンチが始まる。」
 
 
「以上のように見てくると、赤軍派のリンチは「日本の風土には前例のない異質のもの」どころか、三十年前に徹底的に行われたことの再演にすぎないと思われてくる。
 
従って、戦後教育の結果とか、〇✕式とか、父親不在とか、対話の欠如とか、断絶とかいったことが理由であるとは思えない。」
 
 
〇戦後教育の結果ということはない、と断言できそうですが、「父親不在とか、対話の欠如とか、断絶」が、戦前からあるとすれば、その可能性は捨てきれないのでは?


「だが実際には、こういった粗暴さとリンチとは無関係であった。赤軍派森恒夫永田洋子が特に粗暴な人間であったとは思えない。(略)


そしてそれが、あのようなやさしい人にあのようなことをさせた世の中が悪いという考え方を指せる理由の一つであろう。

だが、私の記憶に残る、もっとも激しい私的制裁の執行者、すなわちリンチの主役も、同じタイプの人々であり、一見粗暴に見える人々は、かえってその逆であった。」


「軍隊では「教育のない下士官上等兵が、大学出を嗜虐的にいじめた」とよくいわれ、今ではそれが定説化し、私的制裁とはそういうもののように思われているらしい。

従って、高等教育を受けた者のリンチである赤軍派の場合と、旧軍隊のそれとはまったく別のことに見えて関連付けが出来ないのであろうが、私の経験に関する限り、実態は定説の逆であった。」


「(略)朝に晩に私的制裁を加えた定評付きの二人を上げると、一人はT兵長で日大の工学部出身、もう一人はK上等兵で中卒、職業は都電の車掌であった。当時の大学卒は今の大学院卒、中卒は短大卒と考えてよいかも知れない。

そしてもう一人、その後に登場したU見習士官は高等師範、すなわち今の東京教育大学の出身であった。いずれも、社会でも軍隊でも底辺にいた人ではない。

この三人は三人とも、軍隊内の超エリートであった。
 
 
「この最優秀の兵士、おそらくいずれの社会でも絶対に底辺にはおらず、どこにいてもその社会でエリートになったと思われるこの二人が、文字通り「残虐そのもの」であった。
 
 
二人とも背が高くやせ形で、やや面長、声が少しかすれていた。」
 
 
「二人とも絵のように美しい号砲手だが、その軍装を被服庫から借り、勤務が終われば手入れ洗濯をして被服庫に返却するのもまたすべて初年兵の仕事であった。
 
編上靴まで石けんできれいに洗わねばならない。しかし初年兵にはそんな時間はない。(略)
 
過労、緊張、恐怖、苦痛、思考力は完全にストップし、ただ反射的に動いているにすぎなくなる。」
 
 
 
「絶えず「ハラハラ」してなければならない_恐怖から来る異常な緊張状態を常に持続していなければならない。この状態は別の面から見れば、「軍隊ボケ」である。
 
恐るべき私的鈍麻、思考停止、倫理感の完全な喪失、特定の信号乃至は刺激以外の一切のものへの無反応へと進む。一種の麻痺状態ともいえようか。そしてこの状態になったとき「地方気分が抜けた」といわれたわけである。」
 
 
長時間労働で人びとを仕事漬けにしていた裏に、この意図もあったのでは?と考えてしまいます。思考力をストップさせてコントロールする方が、為政者はやりやすかったのではないかと。
 
そして、子どもたちの、校内暴力が始まったとき、子どもたちの思考力をストップさせるために、部活を推奨しました。そして、いじめが酷くなったという印象があります。
 
 
赤軍派への多くの疑問は、これだけの多くの人間がなぜ唯々諾々と殺されたのか、なぜだれも反抗しなかったか、にあると思う。同じことは軍隊にもいえる。」
 
 
 
赤軍派の兵士も、自分の意志でリンチに対抗して手をあげるようなことは、リンチによって喪失させられていたのであろう。」
 
 
「だが岡本公三自身は、自分が喋っているが故にだれかが殺されるかも知れないとい
うような意識は全くあるまい。つきものが落ちているのだ。これも昔と変わらない。
 
なぜ相も変わらずこんなことになって行くのか、今までのべたこともその理由の一端を示しているのではないかと思う。しかしおそらく、理由はそれだけではなく、別のことにもあると思われる。」
 
 
〇その理由について、しっかり突き止める必要があると思います。なぜ相も変わらずこんなことになって行くのか…
 
また、あの「シーラという子」の中で、トリイさんが、シーラの課題が簡単すぎて一生懸命でいられなくなるのではないか、と心配するシーンがありました。年齢的にはは二年生に進級すべだが、三年生にした方が良いと考えました。
 
このような、それぞれの子に適切な環境を与えて、一生懸命に頑張る状況を作り出すのが、教育だと思うのですが、それを一律に忙しくして思考力を削いで、大人しい子にするのが、教育だとしているところに、とても問題を感じます。
 
思考しなけれが、人間らしくなれません。
野生の動物と同じ状況になります。
虜人日記の小松氏が、「日本人は、教育があっても教養がない」と言っていました。
そこに、問題があるように見えます。