読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 上 (残飯司令と増飼将校)

「二・二六などのルポや小説に登場するいわゆる青年将校は、戦前戦後を通じて、一つの型にはまった虚像が確固として出来上がっている。彼らはまるで「カスミを食って悲憤慷慨し」「全く無報酬で、金銭のことなど念頭になく」「ただただ国を憂えていた」かのような印象をうける。
 
 
だがそういう人間は現実には存在しない。悲憤慷慨し、国を憂え、世を憂えていたように見える将校も、実際は月給をもらって生活している普通のサラリーマンであり、さらに収入という点では当時の社会で最も恵まれない「ペエペエの貧乏サラリーマン」だったのである。」
 
 
 
「部隊内では、将校は半神の如き存在である。(略)
 
しかし現実には、中尉クラスでは間借り、大尉クラスで、連隊の裏門に近い一年中日もささない百軒長屋がその住居だった。連隊一羽振りのよくみえる「I連隊副官の家を探したが、どうしても見つからない。探し探してたどりついたら四畳半と三畳だけの裏長屋であった」というようなことは少しも珍しくない。」
 
 
二・二六事件については、農村の貧困が彼らを決起させた一因だというのが定説のようだが、私はそう考えていない。もっともっと明白な貧困が彼ら自身にあり、また彼らの目前にあった。
 
確かに退役佐官の保険外交員も憂鬱な存在であったろうが、しかし候補生として軍隊に来たとたん、おそらく、衝撃をうけるほど彼らを驚かせたものは「残飯司令」や「残飯出勤」、また「ボロかつぎ」「増飼将校」などの存在ではなかったろうか。」
 
 
 
「第一がもちろん士官学校出の将校で、これは今の官庁でいえば東大出であり、階級は同じでも別格であった。
次が「小候」と「特進」である。(略)
 
この二つはいずれも一兵卒からの叩き上げ、いわば「現場出身」で、軍隊における「無学歴将校」である。」
 
 
「「特進は食い意地がはって銭にきたない」これが軍隊内の定評であり、また事実であった。」
 
 
 
「この人たちが軍隊に残ったのは、軍国主義に共鳴したのでもなければ、立身出世を望んだからでもなかった。軍隊という最低生活(われわれから見れば)でもよいから生活の安定を望み、准尉の恩給という最低の恩給でもよいから老後が保証されることを求めたという、非常につつましい人々、いわば最も小市民的な生活の安定を求め、その代償として、生涯を下積みで送ることを一種の諦念をもって覚悟した人々であった。
 
 
従ってその実体は、今の人が考える「軍人」とか「軍部」とかいった虚像からは、実に縁遠い存在であった。士官学校出は、彼らを差別しながら、実務は完全に彼らに依存していた。」
 
 
防衛大学出の幹部候補生と自衛隊員を思い浮かべながら、読みました。
 
 
「連隊には三千人近い人間がおり、また動員中には一時的には万を超すこともあるわけだから、四、五人分ぐらいは実際はどうにでもなる。(略)
 
しかし、この家族の分は、食事伝票が切られていないのだから、もしそういう分がありうるとすれば、名目的には「残飯」以外にはありえない。(略)
 
そこで家族に残飯を給与している週番司令という意味で「残飯司令」と呼んだわけである。」
 
 
「「増飼将校」と「ボロかつぎ」は馬にちなんだ蔑称である。(略)
 
飼料を一定量だけ多く与える馬を「増飼馬」といい、少なく与える馬を「減飼馬」といった。特進将校には食事について、特に量について、口やかましい人が多かった。」
 
 
「さて「ボロかつぎ」になると噂しか知らない。(略)ボロとは 襤褸のことではなく馬糞の軍隊語である。(略)
 
すなわちボロを持ちださせて、近郊の農家に肥料用に売るか食料と交換することを言った。」
 
 
 
 
「だが「こんな安月給で忠節なんぞつくせるか」とは絶対にいえない。それを口にすれば、「軍人」そのものの否定になってしまう。従って、二・二六の将校などに「問題は月給でしょ。あなた方の本当の不満は自分たちの地位と責任に対する社会の報酬があまりに低いということでしょ」などといえば、そう解釈する人間を逆に軽蔑し、今でも軽蔑するであろう。
 
 
しかし結局はそうだったのだが、それが「自分たちをこんな状態にしておく社会が悪い、陛下の股肱、国家の柱石に残飯をあさらせるような社会はマチガットル、そんな社会は絶対に改造せにゃ軍は崩壊する、日本が滅びる」という考え方になっていくのである。」
 
 
「しかし、その彼らよりさらに不安定な位置にいる人々がいた。下士官である。最低のサラリーマンとはいえ、将校は、一つの「職業人」としての社会的地位はもっていた。
 
しかし、将校の社会的地位の急激な低下を皺寄せされた下士官は、その社会的地位に関する限り、もう絶望的で救いがたい状態であった。社会は彼らを「職業人」とすら認めなかった。
 
 
日本という学歴社会およびそこから生み出されたインテリは、口では何といおうと、実際には労働者や農民を軽蔑している。彼らが口にし尊重する「労働者・農民」は、一種の集合名詞乃至は抽象名詞にすぎない。
 
 
これは昔もおなじで、当時の新聞や御用評論家がいかに「軍」や「軍人」をもち上げようと、それは「軍」「軍人」という一種の集合名詞・抽象名詞に拝跪しているのであって、この軍という膨大な組織の最末端に現実に存在する最下級の「職業軍人」すなわち下士官は、現実には、徹底的に無視され嫌悪され差別され軽蔑されていた。
 
 
これがいかに彼らを異常な心理状態にしたか!下士官を象徴する「軍曹」という言葉は、軍隊内ですら裏では一種の蔑称であった。」
 
「集団へのリップサービスでは最高の敬意を払い、その個々の構成員は、一個の社会人としてすら認めないほど蔑視し、最低の報酬しか払わず、最低の待遇しかしない。
 
これが一番ひどい扱いだと私は思う。最低の待遇しかしないなら、最高の敬意などは、むしろ払わねばよいのである。」
 
 
〇「サピエンス全史」の中で、ハラリ氏が国家というのは想像上のものだ、と言ってました。そういう面もある、と思いながら読みましたが、確かに、ここでこのような話を聞くと、その「想像上」の意味が納得できます。
 
 
「彼らは内心では将校を軽蔑しつつも、これを半神のように扱うよう兵に要求した。これも、将校より下士官が嫌われた一因であろう。そしてそれがかもし出す一種の雰囲気、たえずイライラしたような緊張感は、全軍隊を一種異様な精神状態にしていった。」
 
〇ここでは、河合隼雄氏の「母性社会日本の病理」を思い出しました。
 
「教師が表向きは、評価を下さないとか、みな平等であるといいつつ、背後では日本的序列性に拘束されていて_この拘束力から解放されることは実にむずかしいことだ_そのような見方で生徒を見ているとき、
 
これは劣等感コンプレックスを培養するための好条件なのである。」(母性社会日本の病理)
 
 
「こういう状態で生きていれば、結局は一種の根元主義者(ラディカリスト)にならざるを得ない。彼らが何もかも否定し、社会全部を「めしい」と考えることによって、彼らだけの自己評価に生きるなら、その評価が依拠する根元は「絶対」であらねばならない。
 
ここに「天皇制ラディカル」ともいうべき「国体明徴」問題も起これば、彼らの自己評価のみに基づく行動も起こる。」
 
〇ここは、私には、よくわかりません。
 
 
「そういう状態に陥ってしまえば、もう何も知ることが出来なくなる。社会のことも自分のことも、また彼の専門であるはずの軍事すらも_そして自分が何も知らないということすらわからなくなって、ただただ異常な高ぶりの中だけで生きている。
 
 
そのためすべてをただ不当だと感じ、怒り、幼児のように幻想を見、それに酔い、大言壮語し、感情を高ぶらせ、悲憤慷慨するだけになってしまうのである。」
 
 
「だが以上のように言えば言うほど、彼らは自己評価の枠の中にひっこみ、絶対に耳を傾けようとしなくなる。それはかつての青年将校も同じであった。」
 
 
「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった。見れば、だれにでも、その実体が近代戦を遂行する能力のない集団であることは明らかであり、従ってリップサービスしかしない社会の彼らに対する態度は、正しかったのである。
 
 
社会は、能力なき集団に報酬を払ってはくれない、昔も今も、いつの時代も。
 
 
結局彼らが「何一つ見ヨラン」「何一つ知りヨラン」となったのは、相手ではなく、自分を「見る」勇気がなかったからである。赤軍派を生みだした一つの集団も、おそらくは、同じように、自分を見る勇気がないだけに相違ない。
 
そしてMさんのような人が、偶然その集団に入って行ったら、きっと言ったに相違ない「あれじゃーね、テルアヴィブの三人が出るのはあたりまえだよ……」と。」
 
〇ここを読んでいろんなことを思いました。
 
まず、私の中にも相当に根強い学歴信仰があったということ。親の世代から受け継ぐ「信仰」で、自分を卑下し、子どもの不甲斐なさにイラつき、この「信仰」のせいで、相当に振り回されたと思っています。
 
今やほぼその信仰からは解放されましたが、「三つ子の魂百まで」的なものは残っているような気がします。
 
また、赤軍派青年将校のように「熱情に駆られて、社会を変えなければ」的な行動にうさん臭さと幼稚さを感じ、いつも市民運動にも距離を置いて見ていました。、
 
「社会を変えよう」などと考えること自体が「何も見なくなる」ことのようにも思っていました。それになにより、もともと社会の成り立ちや動きに関する知識自体、それほどないわけですし。
 
でも、3.11の時に思ったのは、一般庶民の気持ちを伝えられる者は、一般庶民でしかない、ということです。
 
国家がどうすればうまくやって行けるのか、それは賢い官僚が考えればよい。でも、一般庶民までが、官僚の考える国家のことを考えて、忖度して、自分たちの困っていることを引っ込める必要はない。
 
いかにも、国のことを考えています。お国のためなら我慢します。と自分たちの苦しみを引っ込める「良い国民」のせいで、国は誰のための国かわからなくなってしまっている。
 
「人間を幸福にしない日本というシステム」になってしまっている。
 
やはり、一人一人が、きちんと、つたない言葉でも、未熟でも、問題を主張して、国家転覆のためではなく、国をもっと健全な国にするために、しっかり行動していかなければならない、と思うようになりました。