読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 上 (煽動記事と専門家の義務)

「日本軍はタテ社会だと言われるが、このタテ社会の中の最も完全なタテ社会、いわばタテ社会の精髄ともいうべきものが日本軍であった。」



「よく「軍人というのは階級が上の人の命令なら、何でもきかなきゃいけないんでしょ」などと言われるが、これも同じ種類の誤解であって、軍人とは「直属上官の命令以外は絶対にきいてはいけない」存在なのである。」



「極端にいえば、もし「「上官」が「朕」を殺せ」と命令したらどうなるか、という問題である。二・二六は明らかに、この「組織の矛盾」を解明する機会だったはずだが、軍法会議その他の過程でも、結局このことは「神がかり」的にぼかされてしまっている。」


五・一五事件などを青年将校が弁護するとき、必ず出てくるのがこのタイプの暴論であった。すなわち「突撃を命ぜられた際、前方に老首相がうろうろしていたら、気の毒だがこれを蹴散らしても突撃せざるを得ない。何しろ、上官の命令は天皇の命令だから」と。」



「その昔、参謀本部の一課長が「天皇が何を言おうと、俺が戦争を始めようと思えば始めることができる」と放言したそうだが、これは、戦費という問題を抜きにすれば、放言というより正直な言葉である。」


「そしてこれに対して陸軍が捕った方針は、粛軍いわば徹底的なタテの強化と、疑似宗教的思想と祭儀の押し付けによる矛盾の隠蔽であった。そしてこの矛盾と矛盾の隠蔽との双方を一身に具現したのが、ルバング島小野田少尉のように思われる。」



「日本軍には、外面的に見れば、天皇は無数にいたわけである。すなわち「上官」はすべて天皇である。(略)

従ってもしある将校が、本物の「裕仁天皇」と「上官という名の天皇」とを内心で併置したら、天皇が二人になってしまう。そうなれば二・二六が起こって不思議ではない。


そこで陸軍が本能的に嫌いかつ恐れたのが、天皇が「裕仁天皇」と「上官天皇」とに分離して、この二つのイメージが一つに重ならない人間であった。(略)

ところが、軍隊が内心最も嫌いかつ警戒したのが、実は、この人たちだったのである。このことはおそらく、今ではもうだれにもわからなくなっているであろう。これは心情的に見れば、左翼が極左を最も敵視するのと同じかもしれないし、確かにそういう面もあったと思う。」


「時代の風潮は恐ろしいもので、私の同級生の中にも「葉隠」マニアがいたが、そのすべてが、幹部候補生に採用されず(これは特に危険視したらしい)、一兵卒のままで死地に送られ、ほぼ全員が生きていない。

皮肉なことだが、当時の日本軍が一番嫌ったタイプが、実は、三島由紀夫氏ようなタイプなのである。」


「私は天皇制の本質とは、「裕仁天皇」と「上官天皇」という二人の天皇がおり、この二人のイメージを一つに重ねさせるという点にあるのではないかと思う。もっともこれは私の体験だけの基づく見方だから、正しいかどうかわからないが、戦後天皇について論ぜられた評論などを読むと、天皇を批判する場合、結局、これと同じ見方を強要し、それを前提にして批判している場合いが多いように思われる。


そうすると、そういう人の前提は結局戦前の軍人と変わらないわけであり、同時に、この前提を受け入れないものは、戦前戦後を通じて罵詈讒謗の対象であるように思われる。

国家という組織の一員として、天皇は、いかなる権限を付与され、その権限に対していかなる責任を負うべき対象であったか、といった問題を一つの組織論として論ずることは、天皇機関説以来、戦前も戦後も不可能なように思われる。ここに天皇制の謎があるのであろうが、これ以上のことは私にはよくわからない。」


「(略)いずれにしろ「百人斬り」の向井少尉が生きていたのは、前記のようなタテのタテの精髄とも言うべき社会、それが絶対化され神聖不可侵とされた社会であった。

このことを頭において、向井少尉の次の供述を読んでほしい。

<向井は、自分がどんな記事を書かれて勇士に祭り上げられたのかは、全然知らなかったので、後であの記事を見て、大変驚き、且つ恥ずかしかった>
(略)


「恥を感じた」というこの言葉は、「恥を知れ」といわれれば腹を切らねばならなかった社会の一員の言葉として聞かないと、この供述は正しく受け取れない。」


「なぜ、この記事で驚いて顔面蒼白になるといえるのか。言うまでもない。ここには、日本軍というタテ組織では絶対に許されないことを行ったと書いているからである。


彼の中隊長が非常に意地の悪い男だったら、次のように言うであろう。

「向井少尉、この記事は事実か。事実ならば貴官にききたい。貴官は中隊命令が眼中にないのか。わしがそういう命令を下したおぼえはない。

貴官は直属上官を無視し、野田少尉との私的盟約に基づいて陛下の兵士を動かしたのか。陛下の兵士を私兵と心得トルのか」

「私的盟約に基づいて陛下の兵士を動かす」これは実におそろしい言葉なのである。」


「二・二六の将校は、岡田総理以下を片っ端から射殺することに、何ら良心の痛みは感じていない。彼らが「良心の痛み」を感じかつ悩んだのは、ただこの一点「私的盟約に基づいて陛下の兵士を動かす」という一点なのである。

従って、そう断定されることは、彼らにとっても、向井少尉にとっても、総理大臣以下を射殺するということ以上の許すべからざる大罪悪をおかしたと断定されたことなのである。

従って、浅海特派員は向井少尉の死刑の宣告文に等しいものを新聞に掲載したのであった。」


「あるいは読者は不思議に思うかもしれない。そんな恐ろしいことが書かれているのに、どうして何百万という当時の読者が、それに全然気づかないのであろうかと。この記事の問題点はそこなのである。」



「ただ一つ私がひっかかったのは「僕は〇官をやっているので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ」という野田少尉の言葉である。この「〇」だが、ここには「副」という字があったはずだ。一体だれがこの「副」を「〇」にしたのだ。


この「副」を「〇」にした人間は、いかに白を切ろうと、初めからこの記事を、全部嘘だと知りつつ書いていたはずである。」



「従ってこのように徹底したタテの世界では、この事件は上記のような設定の下以外では絶対に起こり得ないからである。


これが、すなわち「同一指揮系統の二小隊長」という設定であって、浅海特派員は、こういう設定のもとに書き、もう一度言うが、「そんなことは言わずもがなの当然のこと」として省いている、という態度をとっているからである。」


「さて、ここでわれわれは大きな疑問につきあたるのである。それは浅海特派員も二少尉に騙されていたのかどうかという問題である。(略)


ただその際、どうしても気になったのが、前述の「〇官」である。しかし私は「〇」が「副」だとは夢にも思わなかった。私は二人を歩兵小隊長と信じ込んでいたのと、野田少尉の言葉が実に奇妙なので、この「〇官」を何か副次的な職務と考えたからである。


というのは「……〇官をやっている」という表現である。軍隊では、自分の職務を絶対に「やっている」とはいわない。ちょうど天皇が「私は天皇をやっている」とはいわないように、「中隊長をやっている」という言い方はないのである。」



「ところが鈴木明氏の調査で、驚くなかれこれが副官だとわかった。つづいて「週刊新潮」に佐藤振寿カメラマンの驚くべき証言がのった。

「……野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲の小隊長なんですね」そしてその傍らに浅海特派員も一緒にいたと証言しているのである。

従って浅海特派員は、はっきりと二人の正体を知り、一人が歩兵砲の小隊長、一人が大隊副官であって、全く指揮系統も職務も違うことを知りながら、同一指揮系統下にある第一線の歩兵小隊長として描いているのである。」


「従って二人はすでに、筋書き通りに歩兵小隊長を演じさせられている役者であって、副官でも歩兵砲小隊長でもない。これが創作でなければ、何を創作といえばよいのであろう。」



「何のために、意識的に二人の正体を隠す必要があったのだ。理由は一つしか考えられない。それはこの記事が真っ赤な嘘だということを、書いた本人が知っているからである。



そうでないなら、こんな小細工をする必要はないはずである。はっきりとこれだけのことをしておきながら、なぜ二少尉が処刑されるのをそおままに放置した。二人がこの記事によって処刑されたのは、鈴木明氏の調査でも明らかではないか。

二人を処刑されるがままにしておいて、死人に口なしをよいことに、今なお、「見たまま聞いたまま」を書いたとか「信憑性があるから書いた」とか証言するなら、それは三重四重の噓になるではないか。」


「「戦意高揚」と簡単に言うけれど、これは、「国民を戦争へと煽動する」という言葉とどこに差があろう。近代戦の恐るべき実態を隠し、その戦場が「百人斬り」の場であるかの如くに書きたてたこと、それが一体どういう結果になったか。


先日、ある週刊誌の座談会で、戦史家秦郁彦氏が、戦争の末期には「プロは投げちゃって、アマばかりハッスルしていた」と言われたが、これは私の印象ともピタリと一致する。


戦意高揚という名の煽動記事・ゴマスリ記事が、軍事知識の一知半解人を完全にめくらにしてしまったのだ。

私が前に「目をつぶされた大蛇が、自らが頭に描いた妄想に従って、のたうち回って自滅した」ような印象を日本軍に対してもっていると書いた、その目をつぶしたのは、こういった記事なのである。」


「大分前のことだが、源田実氏が、「ヴェトナム戦争は、純軍事的に見れば北ヴェトナムの実質的敗北で終わることは明らかだ」といった意味のことをれ、当時これが「勇気ある発言だ」と書かれていたのを何かの雑誌で見たが、瞬間、ムカッとしたのである。

今それを言うなら、なぜ、太平洋戦争の前にそれを言わないのか!米・英・中三国との戦争の結果は、あなたには「純軍事的に見れば、はじめから明らか」であったではないか。


あなたは軍人ではなかったのか。軍事の専門家ではなかったか。他国のことに発言するくらいなら、なぜ自らの祖国とその同胞のために発言しなかったのか。」


「その場合、専門家は、たとえいかなる罵詈損言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。」


「<わが国では、各地のいわゆる公害裁判で、原告に加担するマスコミがすでに結論がでているとばかりに、被告の訴訟活動に不当な圧力をかけている。被告会社の主張を科学的に裏付けようとする鑑定証人に加えられるペンの暴力によって、専門家は発言を事実上封せられる。


裁判の場では、両当事者は対等の立場で、使用し得る限りの科学的知識を動員して、その主張の合理性を争わねば、真実を誤る。(略)

金沢大学の学長が、イタイイタイ病問題での、まわりの付和雷同をたしなめると、今度は学生が騒ぎ、マスコミが弾劾の論陣をはる。いつになったら、この頓馬なセンセーショナリズムがなくなることだろう>

教授は「この頓馬なセンセーショナリズム」と書いておられるが、戦争中は文字通り「この頓馬なセンセーショナリズム」の連続であり、「百人斬り競争」という記事は、その一つだったにすぎない。」


〇ここでは、公害裁判における被告会社の主張を科学的に裏付けようとする鑑定証人に、ペンの暴力が加えられた、とされています。

苦海浄土」を思い出します。そして、原発に関する様々な訴訟を思い起こします。

いわゆる「御用学者」という専門家が、会社側を有利にするために、様々な証言をする実態があります。

ここにあるのも、「真実を正直に言い合って、問題解決をしようとする姿勢の欠如」なのです。

今も、佐川氏は「森友」証人喚問で、なんとかうまく法律の隙間を潜り抜け、阿部氏側に有利になるように証言を拒否しています。

専門家は何を目指して、専門家たろうとしているのか。
結局、そこが問われます。

「頓馬なセンセーショナリズム」は問題ですが、権力に対抗するとき、剣ではなくペンで対抗するしかないのが、民主主義の社会だと思います。


「しかし、この問題も、読者は、考えてほしい。おそらくこの方が重要な点と思うから_ただ一つ私に言うべきことがあるなら、この「百人斬り」的な「頓馬なセンセーショナリズム」と「軍備」とが結合し、世界中から袋叩きに会ったのが、太平洋戦争の一面だということである。

従って再軍備の危険性はむしろこの百人斬り的「頓馬なセンセーショナリズム」と軍備の結合という点から考えるべきことであろう。

その点で私は「中国ブーム」と「四次防」と「中国の四次防勅許?」の三結合は、何か気味が悪い。」


〇私は、今の安倍政権が日本会議の後ろ盾で、憲法改正を目論み、国民主権を無くし、天皇主権の戦前のような価値観の国家にしようとしているのにも関わらず、マスコミや、政治家、財界人がそれを擁護していることが、本当に気味が悪い。

本当に本当に、気味が悪い。