読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 上 (「親孝行したい」兵隊たち)

「彼にしてみれば、いろいろな感慨があったであろう。というのは、向井少尉の「上申書」と「遺書」で見る限り、この「百人斬り競争」に関する談合はまず浅海特派員と向井少尉の間で行われ、その談合が終わった後か途中かで、

野田少尉が、向井少尉の相手役もしくは引き立て役として参加を求められた、としか思えないからである。」



「そしてさらに将校が、少なくとも自分の戦闘行為を直属上官に報告せずに、直接に外部に発表してしまうということが、これまた軍隊では、突発的な何らかの事情がない限り、まず絶対に考えられないことである。」



「彼が副官でなければ「報道もれ」という逃げ道はあるであろう。しかし、彼は報告すべき当の責任者なのである。確かにこの記事は「〇官」とでもしない以上、通用すまい。」



「前にも引用した「〇官」の出てくる言葉だが、これは実に奇妙な台詞で、私は最初この言葉を何とも理解しかね、一時は、野田少尉が実際に口にしたのでなく、浅海特派員が創作したのではないかと考えたほどである。


というのはこれは「軍隊語」でない。(略)
これが瞬間的に「創作?」と思った理由だが、よく考えてみると、創作なら意識的に「軍隊語」らしくするはずだし「〇官」という危い部分が入ってくるはずがない。」


「というのは「軍隊語」の二人称代名詞は俗説では「貴様」だが、これはあくまでも「兵隊語」であって「将校語」ではない。(略)


特に少尉や見習士官は、小姑的な古参将校から箸の上げ下げまで何やかやとうるさく言われるものである。」


「従って明治の兵隊は、この点でわれわれよりはるかに苦労したはずである。(略)


従って「軍隊語」は確かに標準語の影響も外部から受けていったと思うが、しかしこれは、その出発的においては、おそらく別で、軍隊という組織の要請に応じて人工的に構成された言葉であろうと思う。」



「<(二)特派員浅海ガ創作記事ヲナシタル端緒(原因)ヲ開明スル処、次ノ如ク解セラル
記者は、「行軍ばかりで、さっぱり面白い記事がない。特派員の面目がない。とこぼしていた。

たまたま向井は「花嫁を世話してくれないか」と冗談をいったところ、記者は「貴方が天晴れ勇士として報道されれば、花嫁候補はいくらでも集まる」といい、いかにも記者たちが第一線の弾雨下で活躍しているように新聞本社に対して面子を保つために、あの記事は作られたのである>


以上の会話がどのような状況の下で行われたか「上申書」からは明らかではないが、向井・野田両少尉への、中国人弁護人・催文元氏が書いた「申弁書」は、その情況は「被告等カ無錫ニ於テ記者ト会合セシ際ノ食後ノ冗談ニシテ」と記している。」


「「特ダネあさり」「戦意高揚という煽動記事」「百人斬り競争」「戦犯容疑」「逮捕」「収容所」「裁判」「偽証」「処刑場への道」「公開銃殺」本多記者による「中国の旅・殺人ゲーム」という再度の創作記事、「殺人鬼としての復活」という、全くやりきれないようなこの「マスコミ暗黒物語」の中に、ただ一条の曙光のように見えるのが催弁護人の態度である。(略)


私にこういうものを書かしたのも、実はこの中国人弁護人・催文元氏の態度であり、また二人が創作記事によって処刑されるのだということを的確に見抜いた最初の人は、おそらく彼なのである。


彼はこういうことを平然とやっている日本人を、内心軽蔑したであろう。心ある一人の人の軽蔑は、「殺人ゲーム」で惹起された百万人の集団ヒステリーの嘲罵より、私には恐ろしい。


この「申弁書」の重要な点はそれだけではない。これは、実に問題の核心を衝くとともに、それまでの裁判の経過を明らかにし、この軍事法廷で「無罪か死刑か」が最期まで争われたその争点が何であったかをも明確にしている_

すなわち彼は何を争い、何を主張していたか、そしてなぜその主張が通らなかったかをも明らかにしているからである。」



「(略)_これが「浅海証言」が二人を処刑させたのであって、この処刑は軍事法廷の責任ではなく浅海特派員と毎日新聞の責任であると前に書いた理由であり、また私が催弁護人のできなかった点は、日本人自らの手でやるべきではないかと考えた理由だが_このことについてはいまはのべない。


だが少なくとも中国人が誠心誠意弁護しているものを、何も日本人がその足をひっぱる必要はないはずだ。」



「「取材へのご協力を…」と言っておきながら、その人間を平然と処刑場に送ったのなら、そういう人の神経は私には理解できない。」


〇私たちの社会では、よく、「告発」する人を心の狭い、もののわかっていない人、のように言って、軽蔑する風潮があるように思います。

3.11の時も、「なぜ既に現実に起こってしまったことで、誰の責任だとか、誰が悪者だとかいうのか。そのような犯人捜しは、何の問題解決にもならない」などと言って、責任問題にするのを避ける傾向が見えました。

でも、それをしなければ、例えば、このように「悪意がない」「ただの考えなしの行動が」二人の人間を処刑場に送ってしまった、という事実を確認することが出来ないのだと思います。

そこをしっかり、見ないと、「意識しない」「考えなしの行動」がどれほど恐ろしいかが、わからない。

私たちの社会は、いつも、権力者のやったことは、誰も責めない、誰も告発しない、と言って、問題から逃げ、苦しむ人を見てみぬふりをしているのでは?と思います。


「これがこの創作記事の背景であろうが、向井少尉がその気になった動機は別で、おそらくそれは、「女性」と「里心」である。

戦場の兵士にとって、「女性」という言葉は、普通の人の想像に絶するほど強い魔力をもつ言葉なのである。

だがそれは、その環境の下では、そうなる男性が正常であって、ならない男性がいれば、むしろその方が異常である。」


「向井少尉が浅海特派員という民間人に偶然出会い、その背後に、女性を見るように誘導された場合、彼が全く無抵抗になって、言われるままに何を演じたとて、これは彼が健全な普通の男性であることを示しているにすぎない。」


「最近ある人から、中国の新聞のブレジネフの農政批判は、実は周恩来攻撃だから、また政変があるのではないか、というような話を聞いた。(略)


ただ私はそういう大きいことはわからないが、非常に小さい面、たとえば兵隊に、絶対にひっかからない独得の言い方で、「戦争はいやだ、軍隊はいやだ、早く日本に帰って普通の生活がしたい」という方法があったことは知っている。


一番よく使われたのが、「親孝行がしたいよナ」であり、次が「ヨメさんがほしいよナ」である。」


「従って親孝行という言葉は、兵士の精一杯のレジスタンスなのである。「お母さん」とか「親孝行がしたかった」という、死期近い兵士の言葉には、今の人には考えられないくらい広い広い深い意味があった。


それは一言にしていえば、平和がほしい。平和がほしかったということである。


私には、戦後の騒々しい「平和」の叫びより、この無名兵士たちの「親孝行がしたいよナ」「親孝行がしたかった」という言葉の方が、はるかに胸にこたえる。」


「こういった現象は言葉だけでなく行為や挙止にもある。「無敵皇軍」は「一死報国」だから、決死隊をつのれば全員が手をあげる_という話は必ずしも嘘ではない。しかし、全員が手をあげれば、結果においては、誰も手をあげないに等しいのである。


そして古い親切な下士官は、常にこういった種類のことをよく心得て、背後からみなに予め注意してくれたものである。


従って、自由意志なき全体主義集団で全員が手をあげる、ということの意味を、今の常識で判断してはならない。

しかしそれが今の人にわからなくなってしまったということは、大変にありがたいことだと私は思う。そういう知恵が必要とされる社会には、二度となってほしくない


「珍しくも民間人に会った。(略)

これがどんなに強烈で抵抗しがたいものか、それを思うと、私が彼の立場にいたら、やはり同じ運命をたどったのではないかと、一種、肌寒くなる思いである。
だがこれについては次にのべよう。

(下巻につづく)」


〇「全員が手をあげれば、誰も手をあげないに等しい」という話にも驚きました。
ここでも、「本音」と「たてまえ」のような裏と表の話に見えます。

でも、どこかで、誰かに問い詰められたら、だってお前は確かに手をあげていただろう、と言われ、「それはそうなのですが…」となるしかありません。

まさに、向井少尉の陥った「ワナ」に似たものを感じます。


山本七平氏の本は、見えにくくなってはいても、今も少しも変わらず存在している
日本の問題をしっかり見せてくれるので、機会を見つけては、読もうと思っているのですが、読んでいると、胸が苦しくなり、気持ちが暗くなります。


これからしばらく、いろいろ忙しくなり、本を読む時間も取れなくなりそうなので、
下巻に行く前に、少し休みます。