読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

下流志向 _学ばない子どもたち 働かない若者たち_

〇今もまだ「忙しい状況」は変わっていないのですが、あと少しで決着がつく、と
終りが見えて来たので、少し心に余裕が出来てきました。

また、少しずつ、「感想文」を書いていきたいと思います。

内田樹著 「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者たち_」
子どもたちが学ばなくなったのも、若者たちが働かなくなってしまったのも、幼いころに消費者としての自己確立が完了してしまい、時間を勘定に入れて考えることをしなくなったから。


そう聞いて、なるほど…と思うと同時に、本当にそこまで人間って一気に愚かになってしまうものなのだろうか…という疑問も起こりました。

どれほど消費者として…と言っても、そんな単純に時間を勘定に入れなくなるものだろうか…と。

その疑問の方が大きかったせいか、前半はなかなか、自分の問題として考えることが出来ませんでしたが、後半の「労働」については、勉強になることがたくさん書かれていたと思います。

実は、もうかなり前に読み終わっているのですが、記憶をきちんと定着させておくためにも、また、少しずつ引用文を載せて、感想を述べたいと思います。

引用文は「」で、感想は〇で書きます。

「賃金というのは労働者が作り出した労働価値に対してつねに少ない。当然です。
そうでなければ、そもそも企業は利潤というものを上げることができない。

株主に対する配当もできないし、設備投資もできないし、研究開発もできない。それらの経済活動の原資はすべて労働者から「収奪」した労働価値によってまかなっているわけです。」


「労働というのは本質的にオーバーアチーブなのです。
言い換えると、人間はつねに自分が必要とするより多くのものを作り出してしまう。その余計に作り出した部分は、いわば個人から共同体への「贈り物」なのです。」


「すでに交換のゲームは始まっていて、気がついた時には贈与する義務を負うプレイヤーとしてゲームに参加しているというのが交換というゲームの基本的な構造です。

これは言語の場合も、経済活動の場合も同じです。」



「どうしても返さなければならないものがある。だから、贈与するのです。贈与者にはイニシアティヴがありません。贈与はつねにすでに受け取ったものを返す「反対給付」としてなされるのです。


労働主体が自分の作り出した価値の一部を他社に贈与しなけrばならないと感じるのは、労働主体として立ち上がった時に、すでに他者からの贈与を受け取ってしまっているからです。


気がついた時にはすでに自分は「債務者」である。だから、その「債務」を清算しなければならない。この「始原の遅れ」意識がオーバーアチーブすることを私たちに義務づける。
これが労働の人類学です。」



「これもこれまであちこちに書いたことなので、繰り返すのは気が引けるのですが、交換の起源的な形態は「沈黙交易」です。

ある部族が共同体の境界線のところに何か品物を置いておく。すると、別の部族が来て、その品物を取って、代わりに別の品物を置いて帰る。この繰り返しが交易の起源とされています。」

「誰が決めたか知りませんけれど、人類最古の交換ルールは、「なんだかわからないものをもらったら、返す義務が発生する」というものなのです。
ですから、沈黙交易では等価物の交換ということはありえません。(略)


もう一つ大事な事は、交換はそのつどすでに始まっているということです。沈黙交易においては「最初に贈り物をした人」というのは実は存在しないのです。」


〇ううむ~と思いました。この「労働の人類学の常識」を一般庶民の私が、なるほど…と理解できるはずがない…というような違和感を感じました。
ちょうど、あのアーレントの「精神の生活」を読んで、哲学者たちの真理をなるほど、と理解し、受け入れることができなかったように。

労働の人類学では、オーバーアチーブになることが義務付けられているのです、と言われても、なんだか釈然としない感じがあります。

ただ、ここを読みながら思い浮かんだのは、

「子供叱るな来た道だもの、
年寄り笑うな行く道だもの

という言葉です。
ここで言ってる意味とは違うのですが、
既に気がついた時には、この道を歩いてしまっている。ゲームは始まっている。
何か大きな流れの中の一部として、自分の存在がある。
という感覚は、実感としてわかります。


「サラリーマンの労働も、もしそれを人間的活動たらしめたいと思ったら、交換の基本ルールに従わなければなりません。「働く義務がある」ということをあらゆる人間社会がその基礎的な倫理としてきたのは、「働くことで、すでに受け取ったものを返さなければならない」という反対給付の義務感が僕たちの社会生活の全ての始点にあるからです。


この義務感・負債感を抜きにして労働のモチベーションを基礎づけることはできません。「働かなくてはならない」というのは、労働について装飾的に追加されたイデオロギーではなくて、労働の本質なのです。


今日のニート問題について行政やメディアで流布されている言説に僕があまり説得されないのは、二―トの発生が労働の本質についての「誤解」から発生しているということを誰も指摘してくれないからです。(略)


彼らは労働することそのものに不合理さを感じているからこそ、労働から逃走しているわけで、どうして労働することを彼らが不合理と感じるのかという、根本の問題を見過ごしている限り、どのような施策も問題を悪化させることにしかならないだろうと僕は思っています。」


ニート問題の最大の難関は、ニートたちが子供の頃から一貫して経済合理性に基づいて価値判断を下してきて、その結果、無業者であることを選んだという彼らの側の首尾一貫性は経済合理性を論拠にしては突き崩すことができないということです。」


「彼らはその「子供にもわかる価値」を、労働との等価交換で手に入れられるという確証が与えられた場合にのみ労働することを受け容れる。確証が与えられなければ受け容れない。」



〇私の周りにも働かない若者がいます。でも、彼の場合は、高校でいじめにあい、学校に行けなくなり、その後、単位制高校放送大学で勉強を続け、なんとか、アルバイトでも、と何度も面接を受けました。でも、その都度、気が弱い、自信のない態度を頭ごなしに罵倒され、不採用になります。

そんなことを繰り返し、体調を崩し、引きこもりになってしまった、という状況でした。

ニートにも、いろいろなタイプがあるように感じます。