読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

下流志向 _学ばない子どもたち 働かない若者たち_

「今大学の卒業に必要な単位は百二十四単位と文科省が決めています。この「単位」という概念は、アメリカの工場労働者の労働時間から持ってきた概念ですから、はなからビジネス・モデルなんです。

一単位というのは、皆さんは多分ご存じないと思うんですけれども、四十五時間の「ワーク」のことです。四十五時間というのは通常の労働者の一週間の労働時間、月、火、水、木、金が八時間で四十時間、プラス土曜日五時間働いて四十五時間。四十五時間の労働をもって一単位とすると。

これを学生に当てはめる場合は、十五時間勉強すると一単位です。どうして学生の場合は十五時間の「ワーク」で一単位認定するかというと、学生というのは予習復習に学校外で十五時間ずつ、計三十時間「ワーク」するものだと定義されているからです。


まるで実情とは違うのですが、とにかく十五足す三十で四十五。これで一単位。
百二十四単位で卒業するということは、単純計算すれば五千五百八十時間の「わーく」をした者には学士号を与えるという発想なわけです。

数値をいじることの危険性はこれだけ見ればお判りでしょう。」


「単位とか学士号というのは国際規格です。けれども、実際には、日本は国際規格の五分の一くらいの「ワーク」で学士号を濫発している。当然、これには国際社会からクレームがつきます。」



「教育のアウトカムは数値的に評価できない。それは当たり前のことなんです。それを数値化できるはずだし、数値化しなければならないと言い立てる人がいるのは、学校を工場に見立て、卒業生を製品に見立てるという市場主義的な教育観の危うさを誰も疑っていないからです。」


「学ぶことの意味を知らない人間は、労働することの意味もわからない。とりあえずは、そういう暫定的な結論を出して、話を切り上げることにします。」