読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者たち_

「内田  ニート自体が、日本の場合は社会の均質性の産物だと思います。イギリスやフランスのニートは階層化の産物ですけれど、日本の場合は社会のかける均質化圧そのものが逆に制度的にニートを生みだしている。

均質性が高いというのは日本社会の「業」のようなもので、これは変えられないし、変える必要もない、と僕は思っているんです。

だって、均質性さえ維持していれば、どんな社会であっても構わないというのが日本人の「本音」なんだから。だから、社会全体の舵取りがある意味簡単なんです。

レバレッジ一つで、社会の向かう方向がころりと変わる。「付和雷同」というのは悪い意味でしか使われない言葉ですけれど、これはもう国民性なのだと諦めて、その「付和雷同体質」をどう効果的に、よい結果をもたらすように活用するか、というふうに頭を切り換えた方がいいんじゃないかと僕は思うんです。」


〇そうですか…。ため息が出てしまいます。
では、あの元文部官僚の前川さんも、付和雷同に、政権の圧力に屈し、沈黙していた方が良かったのですか?
あの伊藤詩織さんも、付和雷同に沈黙し、レイプをなかった事にした方が良かったと?

「内田   (略)社会成員があまりにお互いにそっくりなので、説明のために言葉を使う必要がないという幻想が瀰漫してしまう。

もちろん、他人の内面なんかよくわからないし、第一、本人だって自分の内面なんかわかってないのだから、「わかる」というのは錯覚なんです。


でも、何しろ当の本人が自分んがほんとうは何を考えているのかよくわかっていないから「おまえの気持ちはよくわかる」と言われてしまうと、自分は本当は何を考えているのか、何をしたいのかという自己の探求そのものが停止してしまう。

自分の気持ちというのは、自分でもよくわからないわけで、他人を相手にぼそぼそしゃべっているうちに、あっち行きこっち行きしているうちに、だんだん薄ぼんやりと輪郭が取れてくる。

そのためには気長で、どんなへんてこな話にも「そういうことってあるよね」と頷いてくれる聞き手が必要なんです。


でも、均質化社会では、そういう聞き手が構造的に存在しない。だって、「おまえの気持ちはよくわかる」ということが前提になっているから。ふんふんと頷いて人の話を聴いているふりをしていても、実は何も聴いちゃいない。だって聴く前からわかっているんだから。」

〇内田氏は、「均質社会でいい。変えようとする必要はない。」と言ってるということは、「そういう聞き手が構造的に存在しない」状況が良い、と?

「内田   会社の中はジャルゴン(符牒)の世界ですからね。政治家は「国民国家とは何か?」を問わないし、役人は「国益とは何か?」を問わないし、ビジネスマンだって「貨幣とは何か?交換とは何か?」とは問わない。そういうことは言うまでもなく「わかっている」という前提で仕事をしているわけですから。


自分たちが使っている用語の意味は「全部わかっている」という偽りの前提の上でやっているわけです。」



「L  先ほどアメリカの話が出ましたが、アメリカの多様性というのは、多文化の併存ということであって、個々の文化圏の内部はやはり均質的です。」



「内田   (略)ほんとうの「多文化共生」というのは、一人の人の中に、複数の価値観や複数の言語や複数の美意識が混在していて、それがゆるやかに統合されている状態を達成することを通じてしか実現できないと僕は思っているんです。そんなこと実現できている社会なんて、どこにもないですけど。」

〇この辺りの話、私にはほとんどわかりません。


「内田   (略)今の子供たちを見ていると、曜日によってスケジュールが違うし、ご飯の時間も違う。(略)イレギュラーな生活って、ストレスがきつい。それに耐えるためには時間意識をむしろ鈍感にしていかないといけない。」


「内田   今日あまり話せなかったのは、身体性の教育というか、「修業」というか、そういう伝統的な教育技術で、今はもう消えてしまった能力開発技法をどうやって教育システムの中にもう一度プログラム化してゆくかということです。」


「内田   (略)これはやはり時間の感覚のことですけれど、宇宙には起源があり、終末がある。時間の始まりがあり、終わりがある。その悠久の流れの中のこの一瞬、という時間の捉え方ができる人間のことを「宗教的な人間」あるいは「霊的な人間」と呼んでよいと思います。自分がこの広大な宇宙の、他ならぬこの場所に、他ならぬこの瞬間に、他ならぬこの人と一緒にいるという事実に、人知を超えた「何か大いなるもの」の意思を感知できると、人間はとても豊かな気持ちになれる。


霊的な感覚というのは、無時間モデルのちょうど正反対の、いわば「最大時間モデル」と言ってよいのかと思います。(略)


僕達の社会はそういう方向に近づきつつありますけれど、生物としての本能がぎりぎりのところで、「そういうのはいやだ」ときしむような悲鳴を上げるはずです。僕はそれくらいには人間の生命力を信じても良いと思っています。」


〇読み始めたころは、「イデオロギー」によって学びから逃走し労働から逃走するところへ誘導された若者という話が、よくわかりませんでした。

でも、ここでこうして時間をかけて、文章を入力することによって、ただ読んでいた時よりも、少ししっかり考えられたような気がします。

わからないことや、違和感を感じたことも多かったのですが、読んで良かったと思います。特に、ニートに関しては、少し見方が変わりました。

これで、「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者_」のメモを終わります。