読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

どアホノミクスの断末魔

〇「この一連の企みは、どこにその最も悪性な特徴と問題点があるのか。さらに整理してみよう」という言葉があり、また、箇条書きで、まとめられています。


「・「世界の真ん中で輝く国創り」の目論見には正当性がない。我々は新たな国創りをチーム・アホノミクスに依頼してはいない。日本という国は、今、既にある。我々は、今ある日本が大日本帝国会社に改組されることを欲してはいない。

・「統合政府部門による財政と金融の一体運営」は断じて受け入れ難い。無責任財政は、もとよりそれ自体として国民に対する国家の背任行為だ。それに加えて、このやり方は国家財政が国民の前から消えてなくなっていくことにつながる。我々が関知できないところで、政府が好きなだけ好きな狙いのためのカネを使う。このような民主主義破壊的行為を容認するわけにはいかない。


大日本帝国会社の経営計画の一番柱、「未来社会」志向は、一種のまやかしだ。誠意ある政治と政策は、未来を語る前に今日を見据える。今日的課題を見出し、解決することを通じて国民に奉仕する。それがまともな政治と政策が心がけるべきことだ。


大日本帝国会社が目指す「労働社会」の中で人々の「渡り職人化」が進めば、それは我々が孤立し、分断されて行くことにつながって行く、分断統治もまた民主主義を破壊する。


●「今、最も気掛かりなこと」その1:透明性にご用心

以上の二段階整理を終えたところで、最も気掛かりで要警戒な諸点はなんだと考えられるか。むろん、脱戦後レジーム化して大日本帝国に回帰するというチーム・アホノミクス的基本ビジョンが最大の懸念ポイントだ。そして、そこから派生して来る全てが大いなる警戒材料である。

この点を押さえた上で、さらに焦点を絞れば、次の三点が、筆者にとっての最重大要注意ポイントとして浮かび上がって来る。


大日本帝国会社の経営方針である「統合政府部門による財政と金融の一体運営」

大日本帝国会社の経営計画四本柱のうち、その一本目、すなわち「未来社会」

大日本帝国会社の経営計画四本柱のうち、その四本目、すなわち「労働社会」


「統合政府部門による財政と金融の一体運営」については、既述の通りだ。これが始まると、我々にはカネの使い方がみえなくなる。これは、明らかに統制経済化への入口だ。政治と政策を「知らしむべからず」の領域に踏み込ませるわけにはいかない。


ここで変なことに気づいてしまった。世に「透明性」という言葉がある。民主主義社会は、政策に透明性を求める。まともな経営にも、透明性が肝要だ。この場合の透明性は、「良く見えること」あるいは「全てが見えること」を意味している。


良く磨き上げられた窓を通して、その向こう側の全容が透けて見える。そのような「透明性」が人々にその知る権利を保障する。その意味で、透明性はとても大事な社会的概念だ。


だが、透明性にはもう一つの側面がある。この言葉には、「良くみえる」のとは全く逆に「全然みえない」という意味も、実は隠れている。SFの定番、「透明人間」をイメージして頂きたい。


透明人間は、その姿がみえない。透明人間は、その輪郭も表情も骨格も内臓も、全く何もみえない。肌が透明で、その内側が透けて見えるなら、透明人間は人体模型みたいなものだ。「人造人間キカイダー」の映像がチラと頭をよぎる。


ところが、H ・G・ウェルズがこの世に送り出した透明人間は、みえない人だ。どこにいるのか解らない。何をしているのかも解らない。その意味では、透明性がまるでないともいえる。こういう人は厄介だ。

良い人ならいい。正義の味方なら、その存在は有難い。それこそ透明性のまるでないブラック企業やブラック政府の奥深く潜入して、真実を明るみに出してくれるだろう。「みえない人」の「みえる化パワー」が世界を救う。そんな場面が想定される。


だが、透明人間が悪い人だった場合は怖い。彼がブラック政府の手先となって、市民社会に潜入して来たら大変だ。共謀罪でしょっ引かれる人々が続出することになりかねない。みえる透明性とみえない透明性の関係には、厳重注意だ。


「統合政府部門による財政と金融の一体運営」の恐ろしいところは、このことによって、我々がみえる透明性の世界からみえない透明性の世界に引っ張り込まれてしまうところだ。政府の予算がみえなくなる。財政運営の実態が我々の視界から消える。これほど危険なことはない。」


〇安倍政権が反社会的な政治を行っていることがはっきりしていても、犯罪者だという証拠が次々と明るみに出ても、今や、自民党公明党も、安倍総理を降ろそうとしません。つまり、自公も犯罪集団、財界もマスコミもそれに加担していると考えるしかありません。

心のどこかで、まさかそこまでは…と思っていましたが、この本を読み、やはり相当に危険なところへ踏み込んでいるのが、今の安倍政権だとわかります。

そんな中で行われている様々な行政を私たちは受け入れるしかないのでしょうか。

ほんの一筋の希望があるとすれば、それは、私たち「民衆」が大きな声を上げること。もう、この国には、それしか希望はない。

そんな気持ちになります。