読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

〇昨日で「用事」が終わり、またマイペースで暮らせるようになりました。

トリイ・ヘイデン著 「タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語」を
読みました。この本は、「シーラという子」の続編です。
昔、「シーラ…」を読んだ後、この本も読んだのですが、こちらの内容もほとんど憶えていません。

ただ、しばらくブランクがあったシーラともう一度出会い、それなりのイイ感じで終わって、ホッとしたという記憶はありました。

結局、この「シーラ…」は実話ですから、あの後どうなったのか、気になってしようがなかったのです。

ただ、前回読んだ時にも驚いたはずの「事実」が全く記憶から抜けていて、我ながら、一体どんな読み方をしたのか?と思いました。
その「事実」とは、このトリイ・ヘイデンさん自身、母親が15歳の時の子だということです。シーラの母親は14歳でしたから、そういう意味では、二人の出生には似たところがあったんだ…と思いました。

そのことを書いていたのは、精神科医斎藤学氏です。
この本の最後に「別れの痛み」というタイトルで解説のような文章がありました。
まず、そちらから抜き書きをしたいと思います。

感想は〇で、引用文は「」で書きます。

「今もその傾向は残っているが、当時、児童虐待と言えば、それは子どもが大人に殺される話だった。殺される子は三歳以下の幼児が多いから、マスコミは「幼児虐待」という言葉を使いたがる。児童虐待は滅多にないことがらで、その被害を受けた子の殆どが死んでしまうということになれば、被虐待児のその後に関心が向かうこともない。


結果として、苛酷な幼児期を過ごして、児童期、思春期、更に成人期を迎えた人々の対人関係の障害、友だちの作れなさ、気分のムラ、嘘つきの傾向、怒りと衝動性、自殺しやすさ、アルコールやドラッグへの溺れ、恋愛幻想とそこから始まるストーカー行為、多重人格を含む解離性障害などに関心を持つ人は極めて少なかったから、そうした問題を抱える子どもや大人は、脳神経系の障害を持つ子どもと見られたり、人格に問題のある大人とみられたりしていた。」



「おそらく多くの日本の人々は知っていたのだ。読者本人か、その身近な人に「シーラたち」がいること、ただ彼らには「名」がつけられていないだけであることに。「日本には性的虐待がない、これが日本の文化の特徴のひとつである」(1997年に東京で開かれた国際学会での、ある精神科医の発言)などと言っていたのは人々の実態を見ることを怠った「専門家」たちのゴタクに過ぎなかったのである。」

〇私は、1970年代に、ある「精薄施設」で働きましたが、その時その施設で暮らす女の子(当時15~6歳)が父親による性的虐待のため、何度も人工妊娠中絶の手術を受けた、という話を聞きました。

知る気になれば知ることが出来るはずの実態を、知ろうとしない「専門家」がいるんだ…と思います。


「トリイ・ヘイデンの職者と私のクリニックの受診者がダブっていることがハッキリしたのは、1998年11月17日、杉並区公会堂で行われた彼女の講演会だった。(略)

そのときのことをトリイは後に語っている。「わたしが壇上で話していたら、聴衆がひとり、またひとりと泣き出したのよ。色々な国に行ったけど、こんなに多感な民族は初めて」(「子供たちは、いま」早川書房)。


その聴衆たちがなぜ泣いたかを私は知っている。彼らが日本人だったからではない。聴衆は、長いこと無視され、自分でも説明できなかった自身の問題に照明を当ててくれた人を見て嬉しかったのである。


自分たちの苛酷な児童期を支えてくれたかも知れない「若かった頃のトリイ先生」をそこに見て、聴衆たちの心の中の子供たちが泣いたのである。(略)


自らの身体が母・対象の身体から分離していることに気づくようになるのは生後八~十カ月だろうか。それ以来、私たち人間が「見捨てられる恐怖」や「分離の痛み」から自由になることはない。」

「こうした仕事(情緒障害児の教育者という仕事)は単なる理論的理解ではどうにもならない。それは泥臭い毎日の付き合いそのものである。これが出来るためには情緒障害児ないし精神障害者と呼ばれる患者に並々ならぬ関心(愛着)を抱き続けていなけれがならない。


やがて患者は、この関心の瞳の中に移る自己を発見し、それによって捨てられ無視されるのが当たり前という低い自己評価から脱皮する機会を与えられる。この関心が欠如しているとき、そこに生じるのは治療の破綻だけである。


ではなぜトリイには「奇跡」が起こせるだけの「関心」が備わっていたのだろう。多分、彼女自身が「かつての被虐待児」だったからだと思う。


トリイの母は十五歳のときに彼女を生んだが、父親は間もなく母のもとを去ったので、かなり苛酷な少女時代を送った。しかし母方の祖父母に預けられ、特に祖父の愛を受けながらモンタナの自然の中で過ごした幼年期には、それほど不幸とは思わなかったそうだ。


むしろ苦しかったのは、母親と同居するようになった思春期からで、この母はあまりに早く自分の人生の中に「侵入」してきた娘に恨みの感情を抱いていた。」



「こうしたこともあってか、トリイ・ヘイデンの作品には、何がなし「自己治療」の匂いがする。特に彼女にとっての処女作とも言える「シーラという子」とその続編「タイガーと呼ばれた子」にそれを感じる。」