読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「次の土曜日、シーラと私は彼女の父親の野球チームの試合を見に行った。そのチームは不幸から逃れられないような子どもの群れだった。ちぐはぐのユニフォームを着た十歳から十一歳くらいの少年たちは、みんなそれぞれ異なる背景を持ったマイノリティの家庭の子で、貧困という唯一の共通点のんもとに結束しているかのように私には思えた。」


「だが、この家はソーシャル・サービスから押し付けられたものではなく、彼が自分で選んだ家なのだ。それだけでなく、彼は今公園課の労働者として働いて稼いでいる堅実な給料のなかから自分で家賃を払っているのだった。」



「だが、彼がほんとうに愛しているものは、野球チーム_”彼のこともたち”だった。彼は何度も何度も、この子供たちのおかげで自分は立ち直れたのだといった。」


「楽しいドライブだった。シーラは喋っているうちに、なんど話題はジュリアス・シーザーのことになっていった。彼女はラテン語のクラスで、シーザーが書いたガリア戦記を読み、すっかり夢中になってしまったという。


特に、ガリアにいる先住民のケルト人についての描写が素晴らしい、と。私も高校でラテン語を取った時にシーザーを読まされたが、当時私は実際にその本に何が書いてあるかということよりも、課題を読まないでいい成績を撮れないものかということのほうに熱心だった。

当然の結果として、私は点数だけは良かったが内容に関してはさっぱりで、そのぶん大人になってからその部分を取り戻すのに苦労した。ラテン語でも英語でもシーザーを読むところまではいっていなかったので、私はもっぱら聞き役にまわっていたが、それも悪くはなかった。」



「「なんでチャドと結婚しなかったの?」シーラはきいた。
「わたしは若すぎたのよ。まだその気になれなかったの。もしあのとき結婚してたら、きっとうまくいかなかったわ」
ピザの上にかがみこんで物思いに耽りながら、シーラは上にのっているオリーブを探しては指でつまみ上げて食べた。


「残念だね。そうなっていたらあの本の素晴らしい結末になっていたのに」シーラはいった。
「そうだったかもね。でも現実はそうはいかないものよ」
「トリイとチャドが結婚して、小さな女の子を養子にする。あの本の読者ならだれでもそうなってほしいと思うよ」


「ええ、そうでしょうね。でも実際にはそうはならなかったのよ」
「うん、わかってるよ」シーラはかすかに笑みを浮かべた。


「でも、彼の一番上の女の子、シーラっていうんでしょ?それでいいんだよ。その子はシーラという名前じゃなきゃいけないんだ。でも、ほんとうは、その場所にいるのはあたしのはずだったんだ」」



「オフィスを共有しているジェフは、セラピー室以外の場所で子供たちと接するという考えに興味を示した。。そこで私たちは一緒に、六月と七月の二カ月間午前中だけのサマー・スクール・プログラムを開こうというアイデアを煮詰めていった。」



「当時も子どもは八人で、そのみんなが重度の障害をかかえていたが、世話する側には若く、経験の浅い教師一人と、高校も卒業していない元季節労働者、それに中学生一人だった。中学生。中学生!

そうだ、シーラだ!
理想的な解決策だと思えた。責任感を持てるほどには大人であるが、まだ柔軟性と協調性を示せるだけの若さもある。シーラはこのような状況にはぴったりの年齢だった。」


「とりわけ、こうすれば私たち二人が自然なやり方で一緒にときを過ごせるようになる。私はもう一度シーラのことをよく知りたいと思っていた。あのひょろひょろした思春期の女の子の中のどこかに、私があれほどまでに愛した子どもがいるはずだった。その子を探し出すチャンスがほしかった。」


〇ここまで読んで来て思ったのは、シーラの記憶の中のトリイは、今、ここで出会ったトリイとは違っていて、トリイの中のシーラも、今、ここで出会ったシーラとは違っている。

あの時も今も、人はみんなそれぞれに、自分の見たいもの、見ることが出来るものをその時間の中から汲み取って、生きているんだなぁ、ということです。

「彼にはシーラの背景と以前の私と彼女との関係について簡単には話しておいたが、あまり詳しく言うのも不適当に思われたので細部は話さなかった。この何週間かではっきりしたことがあったとすれば、それは、シーラは昔のシーラとは変わってしまったということだった。」