読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上 <プジョー伝説(つづき)>

「もしプジョーの創業者一族のジャンが13世紀のフランスで荷馬車製造工場を開設していたら、いわば彼自身が事業だった。もし彼の製造した荷馬車が購入後一週間で壊れたら、買い手は不満を抱き、ジャンその人を告訴しただろう。(略)


彼は、工場のせいで抱え込んだ負債がどれだけの金額にのぼろうとも、すべて支払う全面的な義務を負わされるのだ。

もしあなたが当時生きていたらおそらく、自分の事業を始めるのに二の足を踏んだだろう。そして、このような法律上の状況のせいで、起業家精神が現に抑え込まれていた。人々は新しい事業を始めて経済的な冒険をすることを恐れた。家族を貧困のどん底に突き落とす危険を冒すだけの価値があるとは、とても思えなかったからだ。


だからこそ、人々は有限責任会社の存在を集団的に想像し始めた。そのような会社は、それを起こしたり、それに投資したり、それを経営したりする人々から法的に独立していた。その手の会社は、過去数世紀の間に、経済の分野で主役の座を占め、ごく当たり前になったため、私たちはそれが自分たちの想像の中にのみ存在していることを忘れている。」


〇つまり、有限責任会社の起業者は、もし事業に失敗しても、抱え込んだ負債を全て支払う全面的な責任は負わされていない、ということなのでしょうか?

ドラマなどで見ると、中小企業の起業者は、いつもとことんまで追い詰められ、悲惨な最後になる、という話ばかりが印象に残っているのですが…。


「製造した車の一台が壊れたら、買い手はプジョーを告訴できるが、アルマン・プジョーは告訴できない。会社が何百万フランも借りた挙句、倒産しても、アルマン・プジョーは債権者たちに対して、たったの一フランも返済する義務はない。

つまるところ、お金を借りたのはプジョーという会社であって、ホモ・サピエンスのアルマン・プジョーではないのだ。」


効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。


とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人同士が力を合わせ、共通の目的の為に精を出すことが可能になるからだ。


想像してみてほしい。もし私たちが川や木やライオンのように、本当に存在するものについてしか話せなかったとしたら、国家や教会、法制度を創立するのは、どれほど難しかったことか。」


〇この話を逆にたどって行くと、私たちの社会は、国家や法制度を隣の国、中国を真似て作り、明治期には、ヨーロッパを真似、戦後はアメリカを真似たけれど、自分たちで作るには、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらう「効力を持つ物語」を語らなければならない、ということになります。

そして、膨大な数の人を納得させるために歴史の大半を費やして、様々な展開をして行かなければその試みはうまく行かない、と。



「想像上の現実は噓とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存在する限り、その想像上の現実は社会の中で力をふるい続ける。シュターデル洞窟の彫刻家は、ライオン人間の守護霊の存在を心の底から信じていたかもしれない。


魔術師のうちにはペテン師もいるが、ほとんどは神や魔物の存在を本気で信じている。百万長者の大半はお金や有限責任会社の存在を信じている。人権擁護運動家の大多数が、人権の存在を本当に信じている。


2011年に国連がリビア政府に対して自国民の人権を尊重するよう要求した時、噓をついている人は一人もいなかった_国連も、リビアも、人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物にすぎないのだが。


サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンと言った客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。


時が流れるうちに、想像上の現実は果てしなく力をマシ、今日では、あらゆる川や水やライオンの存続そのものが、神や国民や法人といった想像上の存在物あってこそになっているほどだ。」