読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上  <ゲノムを迂回する>

「言葉を使って想像上の現実を生み出す能力のおかげで、大勢の見知らぬ人同士が効果的に協力できるようになった。だが、その恩恵はそれにとどまらなかった。


人間同士の大規模な協力は神話に基づいているので、人々の協力の仕方は、その神話を変えること、つまり別の物語を語ることによって、変更可能なのだ。

適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることが出来る。たとえば、1789年にフランスの人々は、ほぼ一夜にして、王権神授説の神話を信じるのをやめ、国民主権の神話を信じ始めた。」


〇ここにある、、「神話はあっという間に現実を変えることができる」という言葉を読みながら、「あっという間に変える」という文章に聞き覚えがあると思いました。
そこで、「「空気」の研究」のメモを読み直してみました。

たしか、終戦直後、それまで鬼畜米英、忠君愛国と叫んでいた人々が、あっという間に、民主主義信奉者になったというようなことが書かれていた、と思って読み返したのですが、「空気を作り出す基のもの」についての話ばかりをメモしていたようです。

「では以上のような「天皇制」とは何かを短く定義すれば、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」となろう。天皇制とは空気の支配なのである。従って、空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、初めからナンセンスである。(「空気」の研究より」)

「あっという間に変わる」のは、様々な表面的な態度であって、この「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」は変わらない、とあります。

つまり、私の理解によれば、ハラリ氏のいう「神話」はその根幹に「言葉」がある。聖書にもあるように、言葉は神だとまで考えるほどに、言葉に対する拘りが強い。

だから、そこの「神話」が揺らがない限り、その言葉によって新たに作られた神話を信ずることは、「あっという間に」出来る。

でも、日本の場合、「神話」の根幹には「言葉」はない。あるのは臨在感的把握に基づく感情移入。

そうなると、一体どうなるのだろう?
知的レベルが高いはずの官僚も、知的な判断ではなく、感情的な判断になってしまう、ということなのだろうか?

よくわからないので、この疑問はこのままに、次に進みたいと思います。

「他の社会的な動物の行動は、遺伝子によっておおむね決まっている。DNAは専制君主ではない。動物の行動は環境要因や個体差にも影響を受ける。とはいえ、特定の環境では、同じ種の動物はみな、似通った行動を取る傾向がある。

一般に、遺伝子の突然変異なしには、社会的行動の重大な変化は起こり得ない。(略)


それと同じような理由で、太古の人類は革命はいっさい起こさなかった。」