読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上

「それとは対照的に、サピエンスは認知革命以降、自らの振る舞いを素早く変えられるようになり、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後の世代へと伝えていった。

その最たる例として、カトリックの聖職者や仏教の僧侶、中国の宦官といった、子供を持たないエリート層が繰り返し現れたことを考えてほしい。


そのようなエリート層の存在は、自然選択の最も根本的な原理に反する。なぜなら社会の有力な成員である彼らは、子孫をもうけることを自ら進んで断念するからだ。」


〇この話も私たちの国の実態とは違うような気がする。

「私たちはネアンデルタール人の頭の中に入り込んで彼らの思考方法を理解することはできないものの、ライバルのサピエンスと比べた時に、彼らの認知的能力の限界を示す間接的な証拠はある。


ヨーロッパの中心部で三万年前のサピエンスの遺跡を発掘している考古学者は、地中海や大西洋の沿岸から持ち込まれた貝殻をときおり発見する。


それらは、サピエンスの異なる集団の間での長距離交易を通して大陸の内奥に至った可能性が非常に高い。ところが、ネアンデルタール人の遺跡では、そうした交易の証拠は全く見られない。彼らの集団はみなそれぞれが、地元の材料を使って道具を作っていた。(略)


交易は、虚構の基盤を必要としない。とても実際的な活動に見える。ところが、交易を行う動物は、じつはサピエンス以外にはなく、詳しい証拠が得られているサピエンスの交易ネットワークはすべて虚構に基づいていた。


交易は信頼抜きには存在しえない。だが、赤の他人を信頼するのは非常に難しい。今日のグローバルな交易ネットワークは、ドルや連邦準備銀行、企業を象徴するトレードマークといった虚構の存在物に対する信頼に基づいている。」


〇この交易についての文章で、先日読んだ「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者」の中の「沈黙交易」を思い出しました。

「ある部族が共同体の境界線のところに何か品物を置いておく。すると、別の部族が来て、その品物を取って、代わりに別の品物を置いて帰る。この繰り返しが交易の起源とされています。」

「誰が決めたか知りませんけれど、人類最古の交換ルールは、「なんだかわからないものをもらったら、返す義務が発生する」というものなのです。
ですから、沈黙交易では等価物の交換ということはありえません。(略)


もう一つ大事な事は、交換はそのつどすでに始まっているということです。沈黙交易においては「最初に贈り物をした人」というのは実は存在しないのです。(「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者」より」