読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上

「「狩りをする人類」という一般的なイメージに反して、採集こそがサピエンスの主要な活動で、それによって人類は必要なカロリーの大半を得るとともに、燧石や木、竹などの原材料も手に入れていた。


サピエンスは食べ物と材料を採集するだけにとどまらなかった。彼らは知識も漁り回った。生き延びるためには、縄張りの詳しい地図を頭に入れておくことが必要だった。日々の食べ物探しの効率を最大化するためには、個々の植物の成長パターンや、それぞれの動物の習性についての情報が欠かせなかった。


どの食べ物に栄養があり、どれを食べると具合が悪くなるかや、治療にはどれをどう使えばいいかを知っておく必要もあった。また、季節がどう進み、雷雨や日照りについてはどんな徴候に注意すればいいかも知らなくてはならなかった。

彼らは近辺にある流れや、クルミの木、クマの洞窟、燧石の鉱床を一つ残らず調べた。誰もが、石のナイフの作り方や、裂けた衣服の縫い方、ウサギ用の罠の仕掛け方、雪崩や腹を空かせたライオンに遭遇したりヘビに噛まれたりしたときの対処の仕方を心得ていなければならなかった。


こうした多くの技能のそれぞれを習得するには、何年もの見習いと練習の期間が必要だった。古代の平均的な狩猟採集民は、ほんの数分もあれば燧石で槍の穂先が作れた。この離れ業を私たちが真似ようとすると、たいてい惨めな失敗に終わる。(略)


言い換えると、平均的な狩猟採集民は、現代に生きる子孫の大半よりも、直近の環境について、幅広く、深く、多様な知識を持っていたわけだ。(略)


人類全体としては、今日の方が古代の集団よりもはるかに多くを知っている。だが個人のレベルでは、古代の狩猟採集民は、知識と技能の点で歴史上最も優れていたのだ。」



「狩猟採集民は、地域ごと、季節ごとに大きく異なる暮らしをしていたが、後世の農民や牧夫、肉体労働者、事務員よりも、全体として快適で実りの多い生活様式を享受していたようだ。


今日、豊かな社会の人は、毎週平均して40~45時間働き、発展途上国の人々は毎週60時間、あるいは80時間も働くのに対して、今日、カラハリ砂漠のような最も過酷な生息環境で暮らす狩猟採集民でも、平均すると週に35~45時間しか働かない。狩は三日に一日で、採集は毎日わずか3~6時間だ。通常、これで集団が食べていかれる。(略)


そのうえ、狩猟採集民は家事の負担が軽かった。食器を洗ったり、カーペットに掃除機をかけたり、床を磨いたり、おむつを交換したり、勘定を払ったりする必要がなかったからだ。


狩猟採集経済は、農業や工業と比べると、より興味深い暮らしを大半の人に提供した。今日、中国の工員は朝の7時ごろに家を出て、空気が汚れた道を通り、賃金が安く条件の悪い工場に行き、来る日も来る日も、同じ機械を同じ手順で動かす、退屈極まりない仕事を延々10時間もこなし、夜の7時ごろに帰宅し、食器を洗い、洗濯をする。


三万年前、中国の狩猟採集民は仲間たちと、例えば朝8時ごろに野営地を離れたかもしれない。近くの森や草地を歩き回り、キノコを摘み、食べ物になる根を掘り出し、カエルを捕まえ、ときおりトラから逃げた。午後早くには野営地に戻って昼食を作る。


そんな調子だから、噂話をしたり、物語を語ったり、子供たちと遊んだり、ただぶらぶらしたりする時間はたっぷりある。

もちろん、たまにトラに捕まったり、ヘビに噛まれたりすることもあったが、交通事故や産業公害の心配はなかった。


たいていの場所でたいていのとき、狩猟採集で手に入る食物からは理想的な栄養が得られた。これは意外ではない。何十万年にもわたってそれが人類の常食であり、人類の身体はそれに十分適応していたからだ。化石化した骨格を調べると、古代の狩猟採集民は子孫の農耕民よりも、飢えたり栄養不良になったりすることが少なく、一般に背が高くて健康だったことがわかる。


平均寿命はどうやらわずか30~40歳だったようだが、それは子供の死亡率が髙かったのが主な原因だ。(略)


現代の狩猟採集社会では、45歳の女性の平均余命は20年で、人口の5~8パーセントが60歳を超えている。


何が狩猟採集民を飢えや栄養不良から守ってくれていたかといえば、その秘密は食物の多様性にあった。」


「古代の狩猟採集民は、感染症の被害も少なかった。天然痘や麻疹(はしか)、結核など、農耕社会や工業社会を苦しめて来た感染症のほとんどは家畜に由来し、農業革命以後になって初めて人類も感染し始めた。」


「とはいえ、これらの古代人の生活を理想化したら、それは誤りになる。(略)現代の狩猟採集民は、歳をとったり障害を負ったりして集団についていけなくなった人を置き去りにしたり、殺しさえしたりすることがある。


望まない赤ん坊や子供は殺すかもしれないし、宗教心から人間を生贄にする場合すらある。
1960年代までパラグアイの密林に暮らしていた狩猟採集民のアチェ族は、狩猟採集生活の暗い側面を垣間見させてくれる。アチェ族の人々は、集団にとって貴重な成員が亡くなると、小さな女の子を一人殺していっしょに埋葬するのが常だった。」



アチェ族の老女が集団の足手まといになると、若い男性の一人が背後から忍び寄り、頭に斧を振り下ろして殺害するのだった。アチェ族のある男性は、詮索好きな人類学者たちに、密林で過ごした全盛期の話を語った。

「よく老女を殺したものだ。おばたちも殺した…。女たちに恐ろしがられていた…。今ではここで白人たちといっしょに暮らすうちに、すっかり弱くなってしまった。」


生まれた時に髪の毛が生えていない赤ん坊は、発育不全と見なされて、ただちに殺された。ある女性は、集団の男性たちがもう女の子を望んでいなかったので、初めて産んだ女の子を殺された思い出を語った。


また、別の折には、ある男性が幼い男の子を殺した。自分の「機嫌が悪く、その子が泣いていた」からだという。生き埋めにされた子もいる。「見かけが変で、他の子どもたちが笑った」からというのがその理由だ。」



「財産は乏しいのに極端なほど気前が良く、成功や富に執着することはなかった。彼らが人生で最も大切にするのは、他者との良好な交流と、質の高い交友関係だった。彼らは、今日多くの人が中絶や安楽死を見るのと同じ目で子供や病人、老人の殺害を編めていた。(略)

実際にはアチェ族の社会は、あらゆる人間社会がそうであるように、非常に複雑だった。(略)アチェ族は天使でもなければ悪魔でもなく、人類だった。そして、古代の狩猟採集民にしても同じだったのだ。」

〇色々感想はあるのですが、返却日までに読み終える必要があるので、感想はあとで、付け足して行くことにしたいと思います。