読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 <未来に関する概念>

「農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大した。狩猟採集民はたいてい、翌週や翌月のことを考えるのに時間をかけたりしなかった。だが農耕民は、想像の中で何年も何十年も先まで、楽々と思いを馳せた。

狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったのは、彼らがその日暮らしで、食べ物を保存したり、所有物を増やしたりするのが難しかったからだ。もちろん、明らかに彼らも先のことを多少は考えていた。」


〇ここで、狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったというのは、主に、現在の狩猟採集民の部族の生き方を見て、そう考えるのでしょうか?

多分、考えなかった部族は、今も狩猟採集民を続けていて、それ以外の未来を考えずにいられなかった狩猟採集民は、農耕民へとなっていったのでは?と思うのですが。

「ところが農業革命のせいで、未来はそれ以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。(略)


未来に関する懸念の根本には、季節の流れに沿った生産周期だけではなく、そもそも農耕に付きまとう不確実性もあった。」


〇山の木の実が豊作か不作かで、野鳥の動きも変わりますし、クマの動きも変わります。
多分、狩猟採集民にとっても、未来はとても気になるものだったろうと思います。だからこそ、「手を打てる状況」を作り出したいと考えて、農耕に移行してしまったのでは?と思うのですが。

でも、それが「罠」だったとすると、やはり、あの禅の教えを知るべきだったのでしょう。

「第一の心得は、「空の座」にすわること、「ただいま・ただここ」の一念に徹底して、ただ凡夫と成り切って、それから自然に湧き出る大慈大悲の室の中で、忍辱と精進の大方便の衣裳を著けて、自由・自在・自主で、自然なる「創造者」を働くことである。

これが人間として「このまま」の生き方である。(東洋的な見方より)」

「農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある。彼らは、開墾して更に畑を作ったり、新たな灌漑水路を掘ったり、追加で作物を植え付けたりできた。


不安でしかたがない農耕民は、夏場の収穫アリさながら、狂ったように働きまくり、汗水垂らしてオリーブの木を植え、その実を子供や孫が搾り、すぐに食べたいものも、冬や翌年まで我慢した。

農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会体制の土台だった。

悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の賢明な労働を通して何としても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。


至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きて行くのが精一杯の状態に置かれた。


こうして没収された食糧の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食糧のおかげで宮殿や砦、記念碑や神殿が建った。


近代後期まで、人類の9割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。


歴史とは、ごくわずかの人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。」

〇ここで言われていることは、本当に納得です。西洋に「哲学」が発達したと言っても、余剰食糧が思索家を食べさせていたから、発達したのだろうと思います。

そして、時々思うのですが、西洋は一つになった時期がある、とヤスパースが言いましたけど、それだって、身分の差がはっきりしていて、一部の豊かな「文化人」が歴史を動かしていたからこそ、一つになれたのでは?と。