(つづき)
「紀元前221年、秦朝が中国を統一し、その後まもなく、ローマが地中海沿岸を統一した。秦は4000万の臣民から取り立てた税で、何十万もの兵からなる常備軍と、10万以上の役人を抱える複雑な官僚制を賄った。
ローマ帝国はその全盛期には、最大一億の臣民から禅を徴収した。この歳入が、25万~50万の兵から成る常備軍や、1500年後になっても使われていた道路網、今日でも大がかりな出し物の舞台となる劇場や円形劇場の資金に充てられた。
見事であることに疑いはないが、ファラオのエジプトやローマ帝国で機能していた「大規模な協力のネットワーク」についてバラ色の幻想を抱いてはならない。「協力」というと、とても利他的に聞こえるが、いつも自発的とは考えられないし、平等主義に基づいていることはめったにない。
人類の協力ネットワークの大半は、迫害と搾取のためにあった。農民は急成長を遂げる協力ネットワークに対して、貴重な余剰食糧を提供させられた。収税吏が皇帝の権威を振りかざして、一筆書いただけで、まる一年分の重労働の成果を取り上げられるたびに、頭を抱えた。
有名なローマの円形劇場は、裕福で暇なローマ人が、奴隷が様々な健闘を演じるのを眺められるように、他の奴隷たちによって建設されることが多かった。監獄や強制収容所さえも、協力ネットワークであり、何千もの見知らぬ人どうしが、どうにかして協調行動を取ればこそ機能する。
古代メソポタミアの都市から秦やローマの帝国まで、こうした協力ネットワークは「
想像上の秩序」だった。すなわち、それらを維持していた社会規範は、しっかり根付いた本能や個人的な面識ではなく、共有された神話を信じる気持ちに基づいていたのだ。
神話はどうやって帝国全体を支えられるのか?そのような例は、すでに一つ取り上げた。プジョーだ。
紀元前1776年のバビロンは、世界最大の都市だった。そして、バビロニア帝国はおそらく世界最大の帝国で、臣民の数は100万を超えた。
だ。彼の名声は、その名を冠したハンムラビ法典という文書に負うところが大きい。
これは法律と裁判の判決を集めたもので、ハンムラビを公正な王の役割も出るとして提示するとともに、バビロニア帝国全土におけるより画一的な法制度の基盤の役を担い、未来の世代に正義とは何か、公正な王はどう振舞うかを教えることを目的としていた。
そして、後に続く世代はたしかにこの法典に注目した。古代メソポタミアのエリート知識人やエリート官僚は、この文書を神聖視し、ハンムラビが亡くなって彼の帝国が廃墟と化した後もずっと、見習い筆写者たちが書き写し続けた。したがってハンムラビ法典は、古代メソポタミア人の社会秩序の理想を理解するためには、素晴らしい拠り所となる。
法典の冒頭には、メソポタミアの主要な神々であるアヌ、エンリル、マルドゥックがハンムラビを指名して、「この地に正義を生き渡らせ、悪しきものや邪なるものを排し、強者が弱者を迫害するのを防ぐ」任を負わせたとある。
続いて300の判決が、「もしこれこれのことが起こったなら、判決はこれこれである」という定型で示されている。たとえば、判決196~199と209~214は、以下の通りだ。
196 もし上層自由人が別の上層自由人の目を潰したなら、その者の目も潰さ
れるものとする。
197 もし別の上層自由人の骨を折ったなら、その者の骨も折られるものとす
る。
198 もし一般自由人の目を潰したり、骨を折ったりしたなら、その者は銀6
ケルは8.33グラム)を量り、与えるものとする。
199 もし上層自由人の奴隷の目を潰したり骨を折ったりしたら、奴隷の価値
の半分(の銀)を量り、与えるものとする。
209 もし上層自由人の男が上層自由人の女を打ち、そのせいで女が流産した
なら、その者は胎児のために銀10シュケルを量り、与えるものとす
る。
210 もしその女が死んだら、その者の娘を殺すものとする。
211 もし一般自由人の女を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者は胎
児のために銀5シュケルを量り、与えるものとする。
212 もしその女が死んだら、銀30シュケルを量り、与えるものとする。
213 もし上層自由人の女奴隷を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者
は銀2シュケル与えるものとする。
214 もしその女奴隷が死んだら、銀20シュケルを量り、与えるものとする。
判決を列挙した後、ハンムラビは再びこう宣言する。
これらは有能な王ハンムラビが打ち立て、それによりこの地を誠の道と正しい生き方に沿って進ませるよう命じた、公正なる判決である……我はハンムラビ、高貴な王なり。エンリル神によって我に委ねられ、マルドゥック神によって導くよう任された人民に対し、我は軽率であったことも怠慢であったこともかつてない。
(つつく)