読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史   上 <男女間の格差>

「社会が異なれば採用される想像上のヒエラルキーの種類も異なる。現代のアメリカ人にとって人種は非常に重要だが、中世のイスラム教徒にとっては、たいして意味を持たなかった。(略)


だが、既知の人間社会のすべてでこの上ない重要性を持ってきたヒエラルキーが一つある。性別のヒエラルキーだ。」


「中国でも最古の部類に入る文書は、未来を占うために使われた甲骨で、紀元前1200年にさかのぼる。その一つには、「后の婦好の出産は幸運に恵まれるか」という問いが刻まれていた。その答えは、こう記されている。「もし子供が丁(ひのと)の日に産まれれば幸運に恵まれ、庚(かのえ)の日に産まれれば、はなはだ幸運だ」。ところが婦好は甲寅の日に出産した。その文書は陰鬱な言葉で結ばれている。


「三週間と一日後、甲寅の日に子どもは生まれた。運が悪かった。女の子だった」。それから3000年以上が過ぎ、中華人民共和国が「一人っ子」政策を実施すると、多くの中国人家庭が相変わらず女の子の誕生を不運と見なした。次は男の子が生まれるかもしれないと願って、生まれたばかりの女の子を遺棄したり殺したりする親さえときおりいた。


多くの社会では、女性は男性(父親か夫か兄弟の場合が最も多かった)の財産にすぎなかった。強姦は多くの法制度では、財産侵害に該当した。つまり、被害者は強姦された女性ではなく、その女性を所有している男性だった。」



「2006年現在で、夫が妻を強姦しても起訴できない国が依然として53カ国もあった。ドイツにおいてさえ、強姦法が修正され、夫婦間の強姦としう法律のカテゴリーが設けられたのは、1997年だった。」


「生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々が単に正当化しているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか?「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。」


「文化は、不自然なことだけを禁じると主張する傾向にある。だが生物学の視点に立つと、不自然なものなどない。可能なことは何であれ、そもそも自然でもあるのだ。」


「実際には、「自然な」と「不自然な」という私たちの概念は、生物学からではなくキリスト教神学に由来する。」


「同様のマルチタスキングが私たちの生殖器や性行動にも当てはまる。性行動はもともと、生殖や配偶者候補の適性を判断するための求愛儀式として進化した。だが、今では多くの動物が生殖器も性行動も、自分の小さな複製を生み出すこととはほとんど無関係の、様々な社会的目的で使っている。

たとえばボノボは、政治的同盟を強固にしたり、親密な関係を打ち立てたり、緊張を和らげたりするために性行動をする。それは不自然なのだろうか?」