読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「結局、アレホ誘拐騒ぎは、ドクター・ローゼンタールとアレホの両親の気持ちから、シーラはサマー・プログラムの仕事には戻ってこない方がいいだろうということで一件落着となった。その気持ちは十分理解できたので、私たちもこの決定に同意した。(略)


その水曜日の午後、シーラはクリニックまで電話をかけてきて、私のアパートメントまで行っていいかと聞いてきた。声は明るかったがなんだか寂しそうだったので、夕食に彼女お得意のツナとマッシュルーム・スープで作る料理を作ってもらうことにした。」



「その夜のシーラは堰を切ったようによくしゃべった。五月にはじめて再会した時のあの無口で陰気な少女と、今こうして一生懸命におしゃべりをしている少女はまるで別人のようだった。彼女と一緒にいるとくつろいだ気分になれた。本心から、彼女と一緒にいたいと思うほどだった。」



「けれども、私はぜひともそのことを彼女と話し合いたいと思っていた。あの事実が分かったことにより、私は全ての事を新しい目で見るようになっていた。
問題は、その夜その話題がどうしても自然には出て来ないということだった。(略)


いずれにせよ、私たちの会話は核心には触れずに、周辺をうろうろしていた。」



「沈黙が流れ、わたしが持ち上げたマグ・カップが触れ合うカチャカチャという音が静かに響いた。
「人ごみに出ると見てしまうんだ。いろんな顔を見て、思ってしまうの。あたしのお母さんじゃない?って。自分ではわからないんだもの。向こうだってあたしのことが分からない。それで、そんなのすっごく変だと思っちゃうんだ。


つまり、考えても見てよ、トリイ。その女の人はあたしをお腹の中で育てたわけでしょ。あたしを作ったんだよ。その人があたしを作り上げて、今のあたしの半分はその人から受け継いだものなんだよ。それなのに、その人に道で会ったってわからないなんてさ」


シーラはアームチェアにすわったままだった。テーブルランプが彼女の上に黄金色のタングステンの光を投げかけていた。(略)


「なんでお母さんはあたしを置いていったと思う?」シーラはきいた。
ランプの光に照らされて、彼女の目に涙が光っているのが見えた。流れ落ちては来なかったが、涙が盛り上がり、彼女が頭を動かすとききらきら光った。(略)


私が何かを言い出す前に、シーラがふたたび口を開いた。「トール?いつかうまく行くと思う?」
「いつかお母さんを見つけることが出来る、という意味?」
シーラは肩をすくめた。
「ううん、必ずしもそういうことじゃなくて。ただいつか大丈夫になる?そう思う?
あたしにもごくふつうの子になれるチャンスがある?」


ゆっくりと私は頷いた。「ええ、そう思うわ。物事をありのままに受け入れるようになるという意味でね。お母さんがあなたを置いていったときに、ひどいことがあなたの実に起こったということを受け容れられるようになれれば……ひどいことが二度もあったわね。わたしもあなたを置いて行ってしまったわけだから。


そんなつもりじゃなかったのよ。少なくとも私がしたことがそんな風に取られるとは思ってもいなかったの。でも今にして思えばそうだったんだってわかるわ。


そしてその酷いこと二つともが、起こるべくして起こったということ、状況から仕方がなかったんだということ、でもそのどちらともあなたのせいではないことを受け容れられるようになればね。


あの二つのことはたまたまあなたの身の上に起きたけれども、どちらもあなたが原因ではないの。そして最後にはあなたはそれを許し、手放してやらなければならないの」
「あたしにそれが出来ると思う?」
私は頷いた。「ええ。大変勇気のいることだけど、でもあなたは今までだってずっと勇敢な子(タイガー)だったもの」


その週いっぱい私はシーラに会わなかった。(略)
シーラとずいぶん連絡を取っていないことに私が気がついたのは、翌週の水曜になってからのことだった。私は電話をかけた。誰も出なかった。


私はあまりまめに連絡を取るタイプではない。電話があまり好きでないので、ただその理由だけでばつの悪い思いがするほど長い間人と連絡をとるのを先延ばしにすることがある。


この悪い癖を知っている友人たちはたいてい向こうの方から連絡をとってくれる。だからシーラの場合も今まではそうだった。ほとんどいつも彼女の方から電話をかけてくれていた。私の方がかけなければならなくなると、もう一度かけなくてはと思うまでにあっという間に三、四日は過ぎてしまっていた。


また誰も出なかった。私たちが五月に再会してから、二週間以上彼女から連絡がなかったことなど一度もなかったので、この時点で私はどうしたのだろうと思い始めた。」


〇物事をありのままに受け入れるということが、とても難しいということを思い知ったのは、これもまた、次男の不登校の時のことでした。まず、怒りが来て、次に拒否・否認が来て、次に諦め・落ち込みが来て、最後にやっとありのままに受け入れられるようになる…。

そう教えられたのは、子供の病気に関しての本を読んだ時だったと思います。
でも、そういえば、自分の性格を受け容れる時もそうだったような気がします。

そして最後にはあなたはそれを許し、手放してやらなければならないの」

そうできるようになって、やっとまたしっかり歩いて行ける。
私にとっても、この考え方はとても大事なことだったという実感があります。

少し話が飛躍してしまうけれど…
私は日本という国も、いつかそうなれればいいのに、と思います。
起こったことを拒否し、否認し、「自虐史史観」などと言っているのは、このトリイんの言葉を借りれば、勇気のない人のすることだと思います。

さらに、電話が嫌いで人との連絡を先延ばしにしてしまう癖について。
ああ、同じだ~と思いました。