読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「すてきな休暇がいつもそうであるように、この休暇も終りにはくたくたに疲れ切り、帰って来たときにはほとんどまっすぐにものが見えないほどだった。よろよろと飛行機から降り、タクシーをつかまえて街に向かうと、よろけながら自分のアパートメントの建物の階段を登った。」



「シーラの字だとすぐにわかった。私は封筒を破り開けた。


親愛なるトリイ、
どう書き始めていいのかわからないけど、私、自殺しようと思っています。
薬も手に入れました。今ここにあります。後私に残されたことと言えば、この手紙を書くことだけです。すごくさびしいの、トリイ。私って何をしてもうまく行かないみたいで、もう心底疲れました。こうすることが唯一意味のあることだと思うのです。


でも、まずトリイに手紙を書きたかったのです。トリイが私にしてくれたことすべてに、ありがとうと言いたかったのです。私はトリイが私のために何度も全力を尽くして頑張ってくれたことを知っています。そしてこれからもそうしてくれるだろうと、考えられることを誇りに思っています。わたしがいつもトリイに感謝していたことをわかってほしいのです。ただ、いろんなことがうまく行かなかったことが残念です。


              愛をこめて、シーラより

そして、便箋んの下にはOとXがずらりと並んでいた。小さな子供の手紙によくある
抱擁とキスを表す記号だ。
すぐに私は日付を探したが、書いてなかった。封筒をひっくり返して消印を見る。
ああ、なんということだろう。手紙は私がウェールズに旅立った二日後_まるまる一カ月も前に投函されていた。悲しみのあまり麻痺したようになって、私はただその手紙を凝視した。


手紙には住所が書いてあって、シーラがこの街から来るまで東に一時間ほど行ったところにある町の近くの養護施設にいることがわかった。だが、今さらどうすることが出来るだろうか?(略)


あいにく、帰って来たばかりの私を迎えてくれた騒動はこれだけではなかった。
私が携わっていたある少年が、施設の職員に暴行を加えて脱走したのだ。そして私が帰ってきたこの夜をわざわざ選んで、私が以前に彼から取り上げた手製のナイフを探しにジェフと私のオフィスを引っ掻き回しに来たのだった。(略)


私はシーラの手紙に対して今から思えばばつが悪くてたまらないような対応をしてしまった。今まで受け取った中でも最悪の手紙を手にしたまま、恥ずかしいことに、私は何もしなかったのだ。


手紙のことを忘れたわけでは決してなかった。手紙のことは日夜私を苦しめ続けた。(略)問題は、それにどう対処していいのかわからないということだった。シーラはやるといったことはやる子だと信じ切っていた。(略)



更に言えば、彼女は絶望の極みにあった時私に手紙を書いてきてくれたのに、私がその手紙に応えられない状況だったということを彼女が知ることはないのだと思うと悲しくてたまらず、また恥ずかしかった。シーラは他のみんなと同じように、私もまた彼女を見捨てたのだと思ったことだろう。


このことから、私は思いがけず、またあまりやりたくもなかったのだが、徹底した自己分析をすることになった。私はシーラを見捨てたのだ。これが核心だった。さらに、私は私がシーラをはめたのだと感じないわけにはいかなかった。私は彼女が六歳の時に彼女には想像もできないような世界の蓋を開けて見せ、いみじくも彼女が指摘したように、その世界を彼女のものになると思い込ませたのだ。若く理想に燃えていた当時の私は、そういう世界が彼女のものになると信じ切っていたのだ。


シーラはその気になれば、聡明で、自分の考えをはっきり持ち、魅力的で勇敢だった。私は彼女によりよい人生へのぱすポートをあげたと思っていた。年を重ね、悲しいことに世知にもたけた今になって気づいてみれば、何ごともそれほど単純ではなかった。


続く何か月かの間に、私の生活の別々の場所で困難なことや壊滅的なことが立て続けに起こった。(略)
私は二度別々の機会に身体的な暴行を加えられ、三度目にはレイプ寸前までいった。さらに悪いことに、私の患者の大多数が、取り組んでいても見返りがほとんどなく、長時間の努力が要求される割に手応えはほとんど得られなかった。


私のサービスに対してお金を払う余裕のある子供しか治療できず、本当に治療を必要としている子どもたちを診ることが出来ないことに居心地の悪さを感じ、私はここのクリニックの資本主義的な考え方にいらいらを募らせ始めていた。(略)


だが、最大の衝撃は冬の最中にやってきた。不幸な状況に陥ってジェフがクリニックから去っていったのだ。(略)


だが、悲しいことに社会はそうはいかなかった。クリニックの理事会はジェフの性的嗜好がわかると、ジェフが一対一で小さな子供相手に仕事をするのはふさわしくないと感じたのだった。ジェフは強力な紹介状をもらって穏やかに職を辞す機会を与えられた。(略)彼はカリフォルニアでアルコール依存症の人々相手に働くポストに移動していった。」


「損失は大きく、私は忙殺されていた。
その冬の唯一明るいことと言えば、ヒューという新しいボーイフレンドが出来たことだ。アランとはずっと前に疎遠になっていて、私は何か月もの間仕方なくいろんな相手と気の進まないデートを続けていた。


そこに抜群のユーモアのセンスと一面に虫の死骸の絵を描いた十年もののフォルクスワーゲンを持った、ものすごくハンサムな男性が飛び込んできたのだ。(略)


アランやチャドとは正反対で、ヒューは大学を中退した、独立精神旺盛なタイプだった。二十一歳の時に学費に使うはずのお金を投資して害虫駆除の仕事を始めた。(略)



十年後にはこの街でも最も成功した害虫駆除会社を経営するまでになっていた。
わたしが一番引き付けられたのは、彼のたぐいまれなユーモアのセンスだった。」


「六月のある夕方のこと。家に帰った私は床に他の郵便物と一緒に分厚い封筒を見つけた。すぐにシーラの字だとわかった。びっくりして私は封筒を破って開けた。中にはノートからちぎりとった十三枚もの用紙が入っていた。最初の一枚は私宛のとても短い手紙だった。



親愛なるトリイ、
ずっとトリイに手紙を書きたかったのですが、前にあんな手紙を出してしまってなんて書き始めていいかわからなかったのです。ごめんなさい。とにかく私はまだここにいます。
以下の手紙をトリイに送ることにしました。本当はこれらの手紙は私の本当のお母さんに送りたかったんだけど、お母さんの居所が分からないので、トリイに送ることにしました。気にしないでくれればいいのですが。

         愛をこめて、シーラより


その手紙を繰って、その下にある用紙を見た。それぞれの用紙にシーラの母親に宛てた短い手紙が書いてあった。」


〇ここを読みながら思い出したのは、昔、私の恩人である牧師先生が言ってくれた言葉です。

「愛することは止めることが出来るけれど、愛されることは止められないんですよ」と。これは、確か、聖書の言葉に絡めて言ってくれた言葉だったと思います。

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じるものが一人も滅びないで永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世を裁くためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、裁かれない。(ヨハネによる福音書 3章16節~)

誰かが自分を愛してくれている…そう感じられる時、その人のためだけにでも、私は生きなければ…、そう思った瞬間がありました。まぁ、基本的には、死ぬことが出来なかった、という方が正しいのでしょうけれど。

私は、最後の最後に、やっぱりシーラはトリイのことを考えてしまったと思います。それは、救いを求めてのSOSというより(心理的にはそうなんでしょうけど)やっぱり、シーラのトリイへ対する思いやりのような気もちもあると思うのです。たとえそれが、拙い子供っぽい「思いやり」であっても。


そして、もう一つ思い出すのは、「間違えてもいい」という言葉です。
ほんとうに…トリイは頑張るけれど、100%は出来ない。
トリイにもトリイの事情があって、全然完璧に愛するなんてできない。

だったら、愛するなんてしようとしない方がいいのか?
そう考える人も多いと思います。実際、その方がこんな困ったことに巻き込まれずに済む。

でも、せめて好きだと思った人のために困ったことに巻き込まれることくらい、引き受けて、(もちろん100%は支えられなくても)、せめてなんとか支えようとして、生きてもいいのではないか…と私は思います。

そのことが、私を生かしてくれた…そう感じています。