読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  1 ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか

〇 大澤氏と橋爪氏の対談になっているので、大澤氏の発言をO、橋爪氏の発言をHと記載します。発言の一部だけを切り取ってメモするので、本来は「(略)〇〇〇〇(略)」とすべきですが、その一部だけを記載しています。



「O イエスが登場した時、彼はキリスト教という新しい宗教を作ろうとしたのではない。ユダヤ教宗教改革みたいな感じで出てきたんだと思います。だからまず、キリスト教は、ユダヤ教との関係で理解することが必要です。」


「O しかし、キリスト教の場合には違います。ユダヤ教的な部分を否定しつつ、自覚的に残している。その二重性は、二種類の聖典という形で明白な痕跡を留めています。」


「H では、その答え。
ほとんど同じ、です。
ユダヤ教キリスト教も「ほとんど同じ」なんです。たった一つだけ違う点があるとすると、イエス・キリストがいるかどうか。そこだけが違う、と考えて下さい。」



「H キリスト教も、この態度は、同じです。だから、彼ら旧約の預言者を、みな預言者として認める。でも、その締めくくりに、イエスが現れたと考える。
エスの出現は、旧約聖書預言者が、やがてメシアがやって来ると、予言していたものです。「メシア」はヘブライ語で、救世主という意味。それをギリシア語、ラテン語に訳すと「キリスト」です。特に「イザヤ書」の真ん中より少し後ろ(第二イザヤの予言と言われる部分)に、そのことが書いてある。


エスの先輩格に、洗礼者ヨハネという予言者がいて、イエスに洗礼を授けた。「自分の後から来る人はもっと偉大だ」と言ったので、人々は、ナザレのイエスこそ待望のメシアではないかと期待した。


そのあと、イエスが十字架にかかって亡くなると、イエスは神の子だったという人々が出てきた。
「神の子、イエス・キリスト」は、預言者ではない。預言者以上の存在です。なにしろ本人が神(の子)なのですから、自分の言葉がそのまま神の言葉である。(略)


そこで、旧約の預言者は重要でなくなった。なにしろ、神であるイエス・キリストと直接連絡が取れたんですから。この時点で、ユダヤ教キリスト教が分かれたのですね。」