読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  7 原罪とは何か

「H ユダヤ教には、原罪という考え方はない。」


「H 原罪については、キリスト教を扱う第2部で述べますが、少し先回りして話した方が良さそうですね。
まず、罪について。そして、原罪について説明します。それから、なぜこんなにありがたくない神ヤハウェを拝むのか、という話をします。


そもそも、罪とは何か。罪を定義するなら、「神に背くこと」です。具体的に、禁止された行為を行う(命令違反)。あるいは、命じられたことをしない(怠り)。怠りを、不作為の行為と考えれば、要するに罪とは、行為なんです。行為が罪とされる。


その判定基準は、Godとの契約(律法)ですけれど、要は、神の命令に背いたかどうかがポイント。
この点は、ユダヤ教イスラム教、全く同じです。
キリスト教だけが、これに加えて、原罪という考え方を持っている。


じゃあ、原罪とは何か。これは、罪をもっと徹底したもので、しょっちゅう罪を犯すしかない人間はその存在そのものが間違っている、という考え方です。人間そのものが間違った存在であることを原罪という。


これがどんな感じかというと、こう考えるとわかりやすい。石はなぜ、天に向かって投げても、必ず地上に落ちてくるのか。アリストテレスによると、石はそもそも大地に属し、天に属さない。だから本来の場所である大地に戻って来ようとする。


一方天体は、天が本来の場所なので、落ちてこないのです。人間もこれと同じで、神に従おうと思っても無理で、どうしても背いてしまう。罪を犯さざるを得ない本性を持っている。


まだ何の行為もしていない、生まれたばかりの赤ん坊にも、罪がある。生まれてしまってごめんなさい、なんですけれど、これを原罪と呼ぶのです。原罪は、行為に先立つ、存在の性質なんです。


すると、神との契約を守ろうにも、守れないわけですから、神に救われるなんて無理である。そうなると、ウルトラCを持ちだすしかない。それが、イエス・キリストで、イエスを神の子、救い主だと受け入れた人は、特別に許されるかも知れない、ということにした。

まあ、裏口入学みたいなものですね。このあたりのことは、キリスト教のところで詳しく話しましょう。」

〇心理学的なものや、教育学的なものは、まるで分かりませんが、私の中には、ずっとこの「生まれてしまってすみません」みたいな感覚があります。
何故あるのか。親の育て方だったのか。わからないけれど、あります。


鬱と関係があるのかもしれません。特に、いじめられっ子だったというわけでもないし、虐待を受けて育ったわけでもありません。
だから、私としては、そう考えるタイプの人間が人類の中に一定数、いるのではないか?と思っているのですが。