読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  12 神の姿かたちは人間に似ているか

「H まず、ヤハウェに姿かたちがあるかどうか。
初めは、形がなかったと思う。それは、火山をイメージした戦争神だったから。(略)



O 士師というのはわかりやすく言うと何ですか?

H 英語で言うと「judge」で、裁判官のこと。でもその役目は、カリスマ的・軍事的リーダーですね。王制になるまでの時期、臨時に民衆を指揮した。ヴェーバーのいう「カリスマ」の原型なんです。


ユダヤ民族ははじめ、部族社会で、族長がいて、何でも決めていた。でも、族長は戦争がうまいとは限らない。それに、部族ごとに族長がいて、話がまとまらない。そこで、ペリシテ人と戦争しなければならないなんていう場合に、族長でない有能そうな人物が一時的に出てきて、「この指とまれ」みたいに、軍事指揮官になったんです。


でも常備軍じゃないから、戦争がすむと解散してしまう。そういう人なんですね。そういう人は、ふだんは裁判をやっていたらしい。それで「judge」(訳せば、士師)というんです。(略)


ヤハウェはケルビム(スフィンクスみたいな生き物で、翼が生えている)に乗ることになっていたので、椅子にはケルビムの模様がついていたかもしれない。でも戦争に負けて、この箱をペリシテ人に奪われてしまった。こういう不名誉な出来事が旧約聖書に書いてあるのは、それが歴史的事実だった可能性が高いのです。


奪われた箱は、結局返してもらった。ペリシテ人ヤハウェの祟りがあって、そんな箱は返してしまえ、ということになったのだそうです。



箱をアークと言います。映画「インディ・ジョーンズ 失われたアーク」のアークですね。ちなみに、ノアの箱舟の「箱舟」も、英語はアークです。四角くて、ヤハウェに関係のある木の箱を、アークという。(略)


以上をまとめると、ヤハウェにかたちがあるという考え方は、なかった。
さて、バビロンに捕囚されているうちに、洪水伝説とか、バベルの塔とか天地創造神話とか、メソポタミアの伝承にふれた。ユダヤの人々が、「創世記」以下、旧約聖書の中核部分を編集したのは、バビロン捕囚の前後のことだと考えられます。


そこではヤハウェは、戦争神から格上げされ、天地を創造した全知全能の神ということになった。(略)


神がもともと姿もなく、世界の外にあって、世界を創造した絶対の存在であることと、人間に姿が似ていて、エデンの園を歩き回ったりしていることは、矛盾しないか。


これを矛盾なく受け取るにはどうしたらいいか。私の提案ですが、人間は神に似ているが、神は人間に似ていない、と考えればいい。言ってることわかります?
たとえば神を、四次元の怪物みたいなものと考えるのです。それを三次元に射影すると、人間みたいな形になる。人間が神を見ると三次元だから、自分とおんなじだと思うかもしれないが、神の存在そのものは、人間より次元が高いから、目が幾つもあって、ヒンドゥー教の神みたいな怪物の形でもおかしくない。どう?


O なるほど、おもしろい解釈ですね。(略)
実は、今の質問は、第2部のための伏線という意味合いもこめて提起しました。第2部では、キリストについてうかがうつもりです。」