「O ですから簡単に言えば、ニセ預言者というのが横行しうるわけですし、実際に横行していたでしょう。(略)ですから、預言者はどうやって己の真正性を証明したのか。あるいはどうやってその預言者が本物であるということを人々は知ることが出来たのか。(略)
この時期、人々を一つに束ねていたのは、戦争神であるヤハウェを共に信仰するという「祭祀同盟」だった。まあ、戦争のために集まるわけですが、それには、時々ヤハウェの声が聞こえる人(のグループ)がいるとちょうど良かったのです。この段階では、よくあるシャーマンと、あまり違わなかったかもしれない。
預言者サムエルは、集団で暮らしていたという記述がある。サウルはこの集団の人々と一緒に、しばしば神がかり状態になっているし、ダビデもたまにそうなった。初期の王たちは、預言者の性格も持っていたようです。(略)
第一に、本人の意思と無関係に、神によって選ばれてしまう。なりたくて預言者になるわけではない。(略)
第二に、報酬をもらわない。(略)
第三に、特別な訓練や能力が必要ない。(略)
第四に、権力と距離をおき、反体制です。神に背いた権力者に、神の言葉を伝え、権力を批判する。批判の根拠は、神との契約です。
こういう預言者は、本当にユダヤ教に独特です。多くの国には宮廷預言者がいて、王に雇われ、王の諮問に応えて助言をします。預言者は特別な能力を持った知識人で、王様のブレーンですから、民衆の敵です。実はユダヤの宮廷にも、ダビデ王の時代のナタンとかガドとか、それに類する預言者がいた。
イザヤも、国王に影響力をもつ、社会的地位の高い人物だったらしい。でも、最も典型的な預言者はそうではなくて、荒野から、民衆の間から出現する。」
「さて、モーセの律法が書物として成立してみると、ヤハウェとの契約に従っているかどうか、誰でも簡単にわかるようになった。預言者に警告されなくても、モーセの律法を学んだ律法学者が、人々にヤハウェとの契約(すなわち、ユダヤ法)について、教えられるようになった。
洗礼者ヨハネは「悔い改めよ、裁きの日は近づいた」と警告して回ったので、預言者です。しかし、その活動が原因で、ヘロデ・アンティパスに逮捕され、娘サロメが踊ったご褒美に、首を斬られてしまった。裁判抜きで死刑になった。
それにはまず、なぜGodは、じかに自分の言葉を伝えないで、預言者を通して伝えるのだろうかと考えなければならない。(略)
つまり、神の言葉は、それを神の言葉だと信じる人々の態度と共にしか存在できないのです。ヤハウェはこのように、Godと人間の関係を設計した。預言者という器を通すことで、人間が神の言葉を信じるかどうか、試しているとも考えられる。(略)
ヴェーバーの説を参考に、。その基準を整理してみると、第一に、これまでの預言者の預言(Godの言葉)を踏まえていること。第二に、預言が実現する(現実と合致する)こと。第三に、ほかの預言者たちに預言者だと認められること。ほんとうの預言者はこれら三つの規準を満たしている。(略)
預言者とはどういう考え方かというと、その辺にいる誰かが、場合によっては、神の言葉みたいな絶対の規範を述べる場合がある、と考えること。言葉が絶対の支配力を持つことへの、信頼なのです。(略)
言葉はふつう、誰かが誰かに話すものなので、人間同士の関係の中で相対化されてしまう。それに対して、預言者は、Godの言葉を伝えるので、その種の相対化と絶縁し、言葉の絶対的な性能を研ぎ澄ますことができる。
この伝統から、神学や哲学や科学やジャーナリズムが生まれたと思うのです。」