読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  2 なぜ福音書が複数あるのか

「O しかし、厳密に言えば少しずつ違うんですね。とくにヨハネ福音書は、他の三つとの相違がかなり大きい。(略)


これらの福音書がどのような順番で、どのくらいの時期に書かれたかは、厳密な考証によってわかっています。最も古いのがマルコで、マタイとルカは、マルコの他に、今は失われたQ資料(Qはドイツ語で資料を意味する「Q
uelle」から来ています)と呼ばれる文書を参照しているらしい。(略)


ひとりのイスラム教徒が矛盾した内容の二つのハディースを信じるなんてありえないのです。
ところが、キリスト教では、イエスの言行録であるところの福音書が四つもあって、互いに相違や矛盾があるのに、どれも正典として認められている。「これでいいのか?」と心配してしまうのです。(略9


どうして一つのテキストに収斂させないで、四つのまま残っているのでしょう?


H これでいいのだと思います。(略)
もう少し補足すると、キリスト教は、福音書によって成立したのじゃないんです。福音書は、キリスト教が成立した後、聖書に選ばれた。では、いつキリスト教が成立したかというと、それは、パウロの書簡によってである。(略)


パウロが、イエスの十字架の受難を意味づける教理を考えたので、ユダヤ教の枠におさまらない、キリスト教という宗教が成立した。それが、福音書の編纂を促したという順番なのです。(略)



O ここで、やっぱり僕が面白いなと思うのは、さっき言ったように、キリスト教における真理というのは、相対性理論アインシュタインのようには分けられないということです。


つまりイエス・キリストがそこで伝道して、十字架の上で死んで、そして復活したというこの一連の出来事そのものがもうすでに真理である、ということになっている。


ただその一番肝心なことについて、複数の福音書という形で微妙な不確定性があって、そいういう立場の違いをはじめから認めているようなところが、キリスト教の奥深さだと思うんですね。」