読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  3 奇蹟の真相

「O おそらく一番多いのは、病気治しの奇蹟。これに関しては、すべて文字通りに受け取れるかどうかは別にして、かなりの 部分で実際に相当することがあったんじゃないかと思います。


エスにはやっぱり、ある種のカリスマ的な力があったでしょうから、現にイエスに接したことによって、病を患っていた者がある程度元気になったりとか、そういう治療的な効果はあったと想像出来る。(略)


ぼくにとっては話半分で済むことですが、キリスト教を信じている人は、こういう荒唐無稽な話について、どういうスタンスを取っているのですか?


H 実在の、ナザレのイエスは、どういう人物だったかというと、まず、ベツレヘムでは生まれていない。(略)


ナザレ出身のイエスが、遠く離れた南のベツレヘムで生まれるのは、不自然です。
同じ理由で、マタイによる福音書の冒頭の、イエス系図も信用できない。(略)

でも私は、イエスは、そんな小細工をする人ではなかったろうと思います。それより、もっと自由に、民衆の期待の上を行くように振舞ったと思います。ならば、旧約の預言に合っている部分は、誰かが書き加えた可能性が高い。


それから、奇蹟。大澤さんの言うように、奇蹟にも、ありえない荒唐無稽なものと、まあありそうなものとがある。一番あり得ないのは、「復活」ですね。一番古いマルコ福音書は、復活の記述がなく、墓が空っぽだったということろで、唐突に終わっています。


他の福音書は、あとのものほど、復活の記述が具体的で詳細になっていく。これから見ると、復活の奇蹟は、イエスが死んでだいぶ経ってから、今のような形で信じられるようになったと思われます。(略)


あとの奇蹟は、ありえたかもしれない。(略)


総じて言うなら、イエスの奇蹟は、奇蹟としてはささやかなものです。神の子なら、ヤハウェと同じ奇蹟を起こして良いはずなのに、イエスのやることはとても人間サイズである。福音書の伝えることは、実際のイエスとあんまり違っていないと思う。


キリスト教の信仰にとっては、イエスがキリスト(メシア)であり、神の子であることが核心で、奇蹟はそれを証明するもの。重要だけれど、枝葉にすぎない。(略)


奇蹟を信じにくい人は、無理に信じなくてもよいように、福音書は書いてある。」