読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  4 イエスは神なのか、人なのか

「O アマテラスやスサノオイザナギの子であるのと同じように、イエス・キリストヤハウェの子なのか。しかし、そうすると、二人の神がいることになってしまって、一神教の大原則に反することになります。(略)


H マトリューシカという人形があるでしょう。ロシアでお土産に売っている。

O 入れ子になっているやつですね。

H そう。(略)
イエス・キリストも、そう言う風になっていると思う。私たちが知っているイエス・キリストは、一番外側の、完成した形なんです。それを順番にさかのぼっていくと、一回り小さな形が出てきて、だんだん小粒になり、一番最後に出てくるのが、歴史的なイエスだと思います。



歴史的なイエスが、どういう順番で、一回りずつ大きくなっていったか。その順番をたどってみます。


まず、ただの人間イエスがいます。彼についてほぼ確実なことは、ナザレで生まれた。父親は大工のヨセフで、母親はマリア。兄弟がいた。自分も大工だった。地元のシナゴークに通い、旧約聖書をよく勉強した。パリサイ派の勉強法で、モーセの律法を学んだと思われる。

結婚もしていただろうが、よくわからない。三十歳前にナザレを出て、洗礼者ヨハネの教団に加わった。そのあと、何人か(あとで十二人の弟子に加わる)を連れて教団を離れ、独自の活動を始めた。


ガリラヤ地方や、パレスチナの各地を訪れて説教をし、預言者のように行動した。あちこちで、パリサイ派サドカイ派とトラブルを起こした。そのあと、エルサレムに行って、逮捕され、裁判を受け、死刑になった。こういう人物です。


エスが語った教えの内容は、最初は洗礼者ヨハネとよく似ていて、「悔い改めよ、裁きの日は近づいた」と言うものだった。(略)


福音書の中で最も古いマルコ福音書は、イエスの誕生について何も述べておらず、突然青年期から始まります。特別な生まれ方をしたという伝承が、あとから付加されたと考えられる。(略)


エスは、預言者として、活動した。(略)
さて、預言者よりも、もう一回り大きい存在が、メシア(救世主)です。
メシアはヘブライ語で、ギリシア語ではそれをキリストと訳した。(略)



メシアは、救世主なので、世の中を作り変える。ただ神の言葉を伝えるだけの預言者とは、違います。マルクスレーニンのような感じで、革命家なわけです。(略)


イエス・キリストは、ユダヤ教の観点からの呼び方である。これなら、まだユダヤ教の範囲内だと言えます。
ところが、メシア(キリスト)だと思っていたイエスが、あっさり処刑されて、死んでしまった。天変地異も起こらず、神殿も崩れなかった。イエスに期待して従って来た民衆はもちろん、十二人の弟子たちも失望して、ちりぢりになってしまった。イエスがメシアだと信じられていただけで、死後復活すると想定されていなかったからです。


エスの復活。これは、イエスをただのメシア(キリスト)から、もう一回り大きくする新たな要素です。


死者の復活も、ユダヤ教にある考え方です。初期のユダヤ教に、復活の考え方はなかったが、イエスの時代までに、死者の復活を信じるグループが優勢になっていた。(略)


では、メシアとして人々を救うためにやってきたはずのイエスが、処刑され、復活して天に昇ったのは、どのような意味があるのか。
ここで現れるのが、イエス・キリストは「神の子」だ、という考え方です。神の子イエス・キリストは、またもう一回り大きな存在になった。これはもう、ユダヤ教の考え方ではない。



イエス・キリストは「神の子」だとする考え方を、確立したのはパウロです。
パウロは、小アジア(今のトルコ)のタルソで生まれたユダヤ教徒で、ギリシア語もうまく、ローマの市民権をもっていた。キリスト教徒迫害の急先鋒だったが、あるとき復活したイエスを見て「回心」し、熱烈なキリスト教徒として活動を開始。各地で宣教を続け、ローマで殉教した。


その間、ローマ人への手紙、コリント人への手紙など多くの書簡を書き、それが新約聖書に収められています。


ようするに、「神の子」は「イエス・キリスト」と同じ意味はなくて、もう一歩踏み込んだ考え方なのです。


O イエス・キリストだったら救世主という意味ですよね。神の子だったら、一段神に近付いていますよね。


H ええ。全然違う意味なのです。でも、普通は区別しないでしょう。ひとまとまりに受け取られている。でも、別のことなんです。(略)」