読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  9 キリスト教の終末論

「O 「神の国」とはいったいどういうものなんですか?(略)というわけで彼らから見ると、どうやら神の国が近づいているらしいのだけど、それが何だかわからない。


そして、どこにあるのかもわからない。わからないから質問すると、「神の国はどこかにあるものではない」などと言われたりする。結局、最も重要なメッセージがよくわからないままなんです。


H 「神の国」というと、天国のことかと思っている日本人が多い。死んだら肉体が滅んで、霊魂が行く場所だ、みたいに考えている。


こういう考え方は、キリスト教と関係ありません。もちろん、イエスがそんなことを考えていたはずもない。
話の順序として、ユダヤ教から見ていきましょう。まず、ユダヤ教に、終末の考え方があった。


終末は、どういうものか。「その日」には、ヤハウェがこの世界に、直接介入する。ユダヤ民族から見て、この世界の秩序は、正しくないわけです。ヤハウェを信じている自分たちが虐げられて、エジプトやバビロニアといった異教の国々がのさばっている。この間違った世界を、ヤハウェが正してくれる。


ちょうど、不良債権がかさんだ銀行が国有化されたり、戒厳令が布かれたりするみたいに、この世界が直接ヤハウェの管理下に入るわけです。国際社会の政治力学が変化し、ユダヤ民族の国際的地位が向上して、エルサレムを中心とするユダヤ国家が覇権を取り戻す。こんな感じです。(略)


その救済は、この地上で、現実に救われることである。こういうものなのです。日本語の、「世直し」みたいなものに近い。
エスのいう「神の国」は、これを裏返したものです。



似ているところもあります。突然やってくるところ。世界が正しく作りなおされるところ。神が直接に介入するところ。これまでの地上の秩序(政治とか富とか)が無効になってしまうところ。


違うのは、これが「地上のもの」でないと言われている点。地上でないなら、天の国なのかというと、天でもない。「ヨハネの黙示録」によると、「その日」には天も壊れてしまう。世界はリセットされて、作り直される。


神の国」は、いまある世界の代わりに、神が新しく作って与えるものなのです。神が用意してくれるので、人間は安心して、身ひとつでそこへ行けばいい。


自分がそこに行けるかどうか。それは、人間には知ることが出来ない。神の胸三寸ですね。神の国に入れない人にとっては、「その日」は恐るべき日になる。(略)



H 「その日」には、死者も復活する。
福音書によると、イエスは、死者は復活すると考えていたことが分かります。(略)


神の国に入れる資格について、どんなことを言っているか。幼い子供を指し、「この子共のようでなければ神の国にふさわしくない」。あと、「先のものが後になり、後のものが先になる」、とも言います。


O それも、イエスのわけがわからない言い方のひとつですね。(略)

H 現在の社会秩序や階層が、無効になるという意味だと思います。
あともう一つは、「すべての人にへりくだって、仕える者が最も偉い」、これも似たようなことですね。(略)



H ふつうのユダヤ教パリサイ派)の考える復活だと、「その日」のあとにも、それまでの秩序が存続します。政治は存続する。経済も存続する。家族親族関係も存続する。(略)


現在の地上の、大部分の権利関係は維持されるのです。
これを、イエス・キリストは裏返しているから、イエスの言う「神の国」は、まず、ユダヤ人でも行ける人と行けない人がいる。(略)


次に、神の国に、政治は存在しない。経済は存在しない。性別や家族も存在しない。これらすべてがない状態で、神を中心に、楽しく生きていきましょう、と言っているわけだ。


O うーん、それは本当に楽しいですかね(笑)。(略)


H 「地獄」というものは、ありません。聖書には書いてない。
火で焼かれる。(略)


とにかく呪われたグループがあって、滅びの道に入り、焼かれるということですね、裁きの日に。


O そうなんですか?僕は、福音書のその部分を虚心に読むと、なんとなくイエスの一番人間的なところが出ているだけじゃないかと思います。(略)


エスは、空腹のために我慢がきかなくて、癇癪起こしているだけですよ。
で、ぼくはいつも思うんだけど、神の国があって、そこで一部救われる。他方で救われない人がいて、火に焼かれる。なんかそれも、残酷と言いますか……。


H なんで全員を救わないのだろうと、思いません?

O そう思いますよ。
それに救われた方だって、そんなに心穏やかでしょうか。(略)ずっと死なずに、隣の苦難を見ていなければならない…。しかも、救われなかった人も死なずに、ずっと焼かれているんでしょ?


H そのとおりです。

O だから、楽しく死なない人と苦しく死なない人がいて、これはとんでもないことじゃないかと思います。救ってやるならみんな救ってやれよ、と(笑)。(略)


H 「透明性」が足りませんか?

O そう、とんでもないと思う。

H 情報公開をしてほしい?

O そうなんです。説明責任を果たせ、みたいな(笑)。

H ここが本質なんですね。もしもそういうことを求めたら、一神教にならない。簡単に言うと、救うのは神で、救われるのは人間なんです。

O 人間の自分の努力で救われたりしない、ということですよね。(略)

H 救うのは神だから、人間は自分で自分を救えないんですよ。(略)

神が誰を救うかは、神自身が理解していればよく、それを人間に説明する責任もないし義務もないし。(略)
これをまるごと受け入れないと、一神教にならない。

O そうなんですよね。ただ、やっぱり、救われた状態に憧れを持てないところがありますよ。


H 救われたいと心底願うには、この社会が間違っていると思っていないといけないんですよ。日本人はこの社会が間違っていると思っていないから。


例えば、今の家に満足しているのに引っ越しなんて考えないじゃないですか。仮住まいで不満があって嫌で嫌でしょうがないから、どこであれ引っ越したいわけですよ。その時に、引っ越し先に二か所あるという、そういう話ですよ。


O で、引っ越し先は勝手に決められちゃうということですよね。

H そうそう。だから、前提として、日本人は現状に満足していて、いじめられ民族じゃないんだ。」


〇 ヤハウェはもともと火山のイメージだったというのを聞いて、人知を超えたところにある神の働き、ということが、すごく納得できます。

人間がどんなに文明を積み上げても、おそらく次の瞬間に、一瞬で破壊されてしまうということが、起こり得る。

その世界の中で私たち人間は生きている、という事実が常に突きつけられているのだと、思います。

でも、私も昔、まさにこの大澤さんと同じようなことを思ったなぁと思いながら読みました。なんで、神は全員を救ってくれないんだ、と。