「O でも、ふつうに考えてみると、なぜキリストが死んだら人間の罪が贖われたことになるか、実はよくわからないのです。
H このことは聖書に、はっきり書いてありません。なぜ書いてないのか?当たり前すぎると思って、書いてないのかもしれない。よくわからない。
で、私が一番納得しているのは、古代法の、同害報復説です。「目には目を、歯には歯を」という……。
O 復讐の論理みたいなものですね。
H 復讐の論理です。
同害報復は、復讐法の一種で、ユダヤ民族や古代世界の人々には常識みたいなものだった。(略)
同害報復は、罪(片目をつぶした)に等しい罰(片目をつぶす)を与えるべき、という基準を示すもので、罰が大きすぎないほうにする点に主眼がある。復讐を、正義に従わせるための原則なのです。
では、「罪がないのに罰せられる」とは、どういう状況か。これがまさに、イエス・キリストが引き受けたことです。その結果、何が起こるのか。(略)
この場合、真犯人のaを処罰できるか。出来ないんです。もう、一人殺してしまった。同害報復ですから、一人殺されたら、復讐は一人だけ。それ以上殺すことは出来ない。
O それでイーブンということですよね。(略)
O それはひとつの解釈として、あり得るかもしれませんね。(略)
例えば、「創世記」のイサク奉献みたいなやり方だったらまだわかるんです。つまり、罪を犯している人間に対して、同害報復の論理で取引してやるから、人間の中から一人犠牲者を出しなさいと神に言われたのであれば、理屈としては通ります。(略)
O いずれにせよ、キリストの贖罪の論理というのは、なかなか難しい。(略)ピンとこないというのは、敢えて言うと、神様というのはなかなかユニークな性格の方ですね、ということなんですが(笑)。