読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  第3部 いかに「西洋」をつくったか  1 聖霊とは何か

「O キリスト教は成立後、いろんな形で社会に浸透し、人々に影響を与えながら、言ってみれば「西洋」を作って行きました。しばしばいわれる「グローバリゼーション」も含めて、近代化というのは、見方によっては地球的・人類的な規模の西洋化みたいなところがあります。(略)



エスが神なのか人なのかをめぐっては、第二部で議論しましたが、さらに新しく聖霊まで出てきた。三位一体という教義について、橋爪さんのお話を聞かせて下さい。


H わかりました。ただ、問題が大きいので、いくつかに砕いた方がいいと思う。(略)


まず、聖霊は、使徒行伝に出てくる。(略)
ヤハウェは、自分の意思を伝えるのに、預言者や、イエス・キリストを遣わしたわけですけれど、イエス・キリストが出番を終わって退場したあと、もう預言者が現れることは出来ない。(略)


ただ、福音(イエス・キリストの言葉)だけが書物のかたちで残った。人々は終末の日まで、これで我慢するしかない。
そうして取り残された人々と神との、唯一の連絡手段が、聖霊です。(略)


信徒が集まっているところには、私もいると思いなさい、とイエス・キリストが語っていた。でも、イエス・キリストはいなくても、代わりに聖霊がいる。ともかく、使徒行伝には聖霊の記述がある。(略)



聖霊は、大澤さんの言うように、ネットワークや相互感応みたいな作用なのだけれど、日本人におなじみの、空気や以心伝心とは違う。どう違うか。聖霊は一つしかない。それは神からのものである。人と神とをつなぐのが聖霊で、人と人とは結果的につながれるにすぎないんですね。


ここが大事で、聖霊の働きは垂直方向なんです。
なぜ聖霊が必要かと言うと、パウロの書簡を、神の言葉(聖書)にするためです。(略)


ふつうに考えれば、これが神の言葉か、ただのパルロの手紙じゃないか、という問題が起こる。(略)
そこで、パウロの手紙は、実はパウロの考えではなくて、パウロをそう考えさせた別のものの言葉でなければならない。パウロをそう考えさせたのは、聖霊なんです。聖霊が働いてパウロを考えさせ、パウロの手を動かし、字を書かせた。(略)


イエス・キリストについての「解釈」が聖霊(つまり神)の権威によって、聖書に組み込まれているところが、新約聖書の特徴です。そもそも聖書が、解釈なんです。こういう現象は、旧約聖書クルアーンにはない。」