「O この対談の主題、つまり近現代を規定した主要な因子としての西洋という主題との関係では、西側のキリスト教(カトリック)の方が関心の中心になります。今日振り返ってみると、それだけ、西側のキリスト教が定着した地域の文化の歴史的な影響力が圧倒的だったわけです。
しかし、その地域が初めから先進国だったかと言うと、必ずしもそうではない。(略)
このように、西ヨーロッパ(カトリック)では、世俗の権力と宗教的な権威とがはっきりと二元化していました。それに対してビザンツ帝国では、先ほど仰っていたように、教皇がすなわち皇帝であって、両者が統一されているんですね。ついてに言えば、イスラムでも両者は統一されている。
一元性がはっきりしているんです。
なぜ西側のキリスト教地域でだけ、世俗の権力と宗教的な権威がはっきり分裂し、二元化していたのでしょうか?
ローマ帝国が分裂したあと、東側では、皇帝と教会のトップが一緒で良いではないかという考え方になったのですが、西側は帝国そのものが解体してしまったので、その選択肢はなくなった。
だからローマ教会は、政治権力の後ろ楯なしに当面頑張るしかなくなって、東側とは違った運命をたどることになったのですね。そのあと、ゲルマン民族がキリスト教につぎつぎ改宗していくわけです。ところで、八木雄二さんの「天使はなぜ堕落するのか」(春秋社)は読みましたか?
O ええ、読みました。
H 八木さんが強調していたけれども、西ヨーロッパで人々が、キリスト教に改宗する以前に信じていたのは何かと言うと、ドルイド教である。ドルイド教はもともと、ケルト人の宗教で、ケルト社会で、ドルイド教の祭司たちの社会的地位は極めて高かった。
そのように、宗教の権威を認めていたので、キリスト教に改宗しても、王たちが聖職者や教会関係者をことのほか尊敬し、優遇する素地があった。(略)
そこで、改宗以前の要素(たとえば、樹木崇拝、小人、妖精……)が形を変え、キリスト教に入り込んだ。
教会は実体がなく、王権に従属しているので、ローマの教会から見ると、まともではない。そこで、せめて司教や神父を任命する権利ぐらい、ローマ教会のものだと認めろという、聖職叙任権闘争なるものが起こった。それぐらい、西側世界で、教会は弱体だった。
ところがそのあと、西ヨーロッパでは、封建制という独特な社会が形成される。(略)
教会も土地を寄進されて領主となり、政治権力に対抗する実力をそなえた(このあたり、実は日本の、荘園貴族と寺社勢力と武士のネットワーク形成と並行していて、興味深い所です)。(略)
O (略)これは常識的に考えると、その宗教を人々に伝えるに足る、現実的なスポンサーがいないわけですから、きわめて不利な状況です。(略)それなのになぜ、政治的な権力を持たなかった西側の教会は、最終的に影響力を押し受けることが出来たのか。
H (略)教会がとった戦略は、まず、典礼言語をラテン語に決めて、絶対譲らず、ゲルマンのローカルな言語を使うことを認めなかったことです。彼らは文字を持っていなかったので、丁度良かった。ローカルな言語を使えば、ローカルな民族教会になってしまったでしょう。
典礼をラテン語にしていれば、どんな学力がない僧でも、ちょっとはラテン語が出来る。すると、商業とか、外交とか、いろいろな情報伝達に有利である。そこで、政治権力にとって利用価値が出てくるんです。こうした利点は、教会が分裂せず、一つの組織を形成し、政治的な勢力圏を超えてネットワークを構築できているからこそ発揮される。
これが、教会が存続した大きな理由の一つだと思う。
つぎに、政治権力に介入するには、一神教の論理がとても大事になると思う。神の恩恵と救済がないと、人間は生きていいけない。そこで、終末の教義を脚色して、悪魔とか地獄とか、煉獄とか、教会だけがイエス・キリストの代理として人々を救うことが出来るとか、宣伝した。(略)
この点も、日本の寺社勢力と似ているのですが、所領を分割相続しないですませるため、余った男子を、ちょっぴり所領をつけて、教会や修道院に押し込んでしまうことが出来る。こうして教会と封建領主は、持ちつ持たれつの二人三脚の関係を構成できた。」