読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  5 聖なる言語と布教の関係

「O ローマ教会は典礼言語をラテン語に限りました。(略)
ところで、聖なる言語と布教について考えてみると、対照的な二つの戦略があるように思います。(略)


整理すると、一方の極に現地語をどんどん使って布教をしていった東方正教があり、他方の極には聖なる言語を厳守したイスラム教がある。


カトリックはその両極端の間に位置しています。ラテン語へのこだわりも、イスラム教のアラビア語への執念に比べれば小さかったので、後の宗教改革において、俗語訳の聖典が出てきやすかったと考えられます。


カトリックが言語に対して取ったこの中間的な態度は、「近代社会」というものの形成にどのような役割を果たしたのでしょうか?



H キリスト教は、一神教なのに、宗教法(ユダヤ法やイスラム法にあたるもの)がないという変種なので、その内実は、学説(三位一体説のような)なのです。(略)


画像や音楽や儀式は、言葉が分からなくても、教義が分からなくても、それなりに理解できる。
このやり方は、カトリック教会の弱点となったか、利点となったか。初めは弱点だったものが、結果的に利点になって行ったと思います。(略)


封建領主や貴族と、王とは、すごく仲が悪い。角逐や戦争を繰り返しながら、王が勢力を伸ばしていく。イングランドにも、フランスにも、あちこちに王が出てきた。
ここで、教会と王(キング)の関係が焦点になる。(略)


イスラムにはこの論理がない。イスラムは、あまりにも成功した宗教で、しかも一元的なため、まず教会がない。聖職者もいない。そのトップである教皇もいない。すると、戴冠する主体がいない。


ヨーロッパでは戴冠を教皇自ら行うのでなく、その代理の枢機卿などが行なう。カトリック教会は、地域割があって、どの地域にも担当者がいるのです。


西ヨーロッパでは、カトリック教会が普遍性を、王権がナショナルな地域性を、代表する。この二元体制を前提に、世俗的でしかも絶対的な、主権国家の観念が育まれることになった。」