ところで、聖なる言語と布教について考えてみると、対照的な二つの戦略があるように思います。(略)
カトリックが言語に対して取ったこの中間的な態度は、「近代社会」というものの形成にどのような役割を果たしたのでしょうか?
画像や音楽や儀式は、言葉が分からなくても、教義が分からなくても、それなりに理解できる。
このやり方は、カトリック教会の弱点となったか、利点となったか。初めは弱点だったものが、結果的に利点になって行ったと思います。(略)
封建領主や貴族と、王とは、すごく仲が悪い。角逐や戦争を繰り返しながら、王が勢力を伸ばしていく。イングランドにも、フランスにも、あちこちに王が出てきた。
ここで、教会と王(キング)の関係が焦点になる。(略)