「O 僕らは今、キリスト教の影響について考えています。しかし、それを考えるには、第一部の最期に議論したように、意識レベルでの信仰だけを見ていてはダメなんですよね。(略)
H 哲学の中心には、理性があります。理性はもともと、ギリシアで発展した。この点は、詳しくのべなくても、周知のことでしょう。
神にはその設計図があり、意図があるんです。人間が神を理解しようと思うと、神の設計図や神の意図を理解しなければいけません。でも、どうやって?その可能性を与えるのが、理性なんです。
理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです。人間は罪深く、限界があり、神よりずっと劣っているけれど、理性だけは、神の前に出ても恥ずかしくない。
理性にこのような位置を与えると、信仰を持ち、理性も働かせるのが、正しい態度ということになる。理性は、神に由来し、神と協働するものなんです。(略)
理性は神が人間に与えた能力なので、その能力を使えば、神が確実に存在することを証明できるに違いない。これが神学の、最初のテーマだった(神学と言っても中身は哲学です)。やってみると、あまりうまく行かない。(略)
神は、理性によってその全貌が捕らえられないのです。(略)
宇宙に理性を適用したら、神の意図や設計図が読解できないか。これも信仰に生きる道である。こうして、自然科学を始める体勢が整ったことになります。(略)
自然現象がいまく解明できたら、今度は、社会現象についても理性を適用してみよう、となる。(略)
〇 自分たちの理解や都合や感情を超えたところにある神の意図を理解しようとして、自然科学や社会科学が生まれたということが、とてもよくわかりました。