読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  7 ギリシア哲学とキリスト教神学の融合

「O 僕らは今、キリスト教の影響について考えています。しかし、それを考えるには、第一部の最期に議論したように、意識レベルでの信仰だけを見ていてはダメなんですよね。(略)


私はまったく宗教に関心がないよ、教会には行かないよ、と言っていても、無意識のうちにキリスト教的なエートスや行動様式やものの考え方を採用している人はたくさんいますからね。(略)


しかし、ある時期から、つまり中世になると、哲学とキリスト教神学が不可分になった。ヨーロッパで哲学が発達し、精緻化していったのは、キリスト教神学と一体化したからだと思います。(略)


H 哲学の中心には、理性があります。理性はもともと、ギリシアで発展した。この点は、詳しくのべなくても、周知のことでしょう。
キリスト教徒ははじめ、理性のことなんかあまり考えていなかったけれど、イスラム経由でアリストテレスをはじめギリシア哲学を受け入れてから、あらためて真剣に考えるようになった。


キリスト教徒は、理性を、宗教的な意味で再解釈したんです。その結論は非常に重要。キリスト教の考え方では、神は世界を創造した。人間も創造した。


神にはその設計図があり、意図があるんです。人間が神を理解しようと思うと、神の設計図や神の意図を理解しなければいけません。でも、どうやって?その可能性を与えるのが、理性なんです。
トマス・アクィナスに、自然法論というのがあります。(略)



ただし、一部分であれば、人間も知ることが出来る。その一部分を、自然法といいます。自然法は神の法のうち、人間の理性によって発見できる部分です。立法者は神で、人間はそれを発見するだけ。


理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです。人間は罪深く、限界があり、神よりずっと劣っているけれど、理性だけは、神の前に出ても恥ずかしくない。


数学の照明や論理の運びは、人間がやっても、神と同じステップを踏む。ゆえに、自然法を発見できる。こう位置付けるのが、キリスト教神学です。(略)


理性にこのような位置を与えると、信仰を持ち、理性も働かせるのが、正しい態度ということになる。理性は、神に由来し、神と協働するものなんです。(略)


理性は神が人間に与えた能力なので、その能力を使えば、神が確実に存在することを証明できるに違いない。これが神学の、最初のテーマだった(神学と言っても中身は哲学です)。やってみると、あまりうまく行かない。(略)


神は、理性によってその全貌が捕らえられないのです。(略)


宇宙に理性を適用したら、神の意図や設計図が読解できないか。これも信仰に生きる道である。こうして、自然科学を始める体勢が整ったことになります。(略)


自然現象がいまく解明できたら、今度は、社会現象についても理性を適用してみよう、となる。(略)


これら(哲学、自然科学、社会科学)は、信仰が理性を正しいものと是認したことでスタートし、キリスト教的文脈と離れても、ときにはキリスト教に反対してまでも、理性的にふるまう理性主義を生み出した。


たとえばフランスでは、大革命の時に、カトリック教会と絶縁し、教会領を没収し、フランス共和国を樹立し、理性神を拝んだりした。(略)」


〇 自分たちの理解や都合や感情を超えたところにある神の意図を理解しようとして、自然科学や社会科学が生まれたということが、とてもよくわかりました。