読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  17 キリスト教文明のゆくえ

「O 言い換えれば、僕らは、自覚しているかいないかは別として、キリスト教的な世界観が深く浸透した社会を生きているわけです。
それでは、今後、キリスト教の影響を受けているこの社会はどうなるのか。これが最後にお聞きしたい質問です。(略)


そういう状況の中にあって、キリスト教由来の近代文明は今後どうなるのか。さらに、その論理を徹底させ、貫徹していくのか。それとも、異なる文明との出会いや衝突を通じて相対化され、根幹のところで変化していくのか。そのあたりはどのような展望をお持ちですか?



H キリスト教世界と違った世界が幾つあるかといえば、大きい所で、イスラム世界、ヒンドゥー世界、中国世界がある。それぞれ固有の論理を持っていて、簡単に変わらないと思います。(略)


ただ、ヨーロッパ=アメリカ連合(キリスト教文明)の、デファクト・スタンダードがあるので、今はそれに合わせている。
その結果、中国とインドは最近、資本主義モードに入った。中国は相当に成功。インドもそれなりに成功してきた。

出遅れているのは、イスラムですね。イスラムは製造業が下手くそで、モノをつくることにあんまり熱心でない。それが理由です。(略)


日本人がモノづくりに長けているのは、アニミズムと関係があって、ロボットにも全然抵抗がないし、モノに何かスピリットのようなものが宿っていると思っている。(略)


イスラムは、モノをつくることが下手で、嫌なんじゃないかな。理由はよくわからないが、もしかすると、クルアーンがあまりに文学的に素晴らしく出来ていて、クルアーンの精神世界が魅力的すぎるせいなんじゃないかと思う。(略)


近代化のためには、まず、法律を作ることが必要なんですけど、日本人は法律を作るのに抵抗がない。相談がまとまれば、それがルールになるという深い伝統があるので、何でも法律になってしまう。でも一神教と関係ないから、人間の都合が優先する。


まず、相談にあずからないと抵抗する。日本人は、自分の同意しない法律に従う必要がないと、心底思っているのです。憲法はまあ、認めた。国会は、法律を作るのが仕事の業界なので、法律を作ることに反対できないんだけど、「あんまり私たちに迷惑な法律をつくらないでくれる?」と他の業界は思っている。

行政官庁も、業界になってしまった。霞が関霞が関で、国会と関係なくルールを作りたいと思っているわけだ。自分たちがルール(法律と言わないで、省令などと別の名前をつけることになっている)を作るのを邪魔しないでほしい、役所に任せてほしい、と言っているわけですね。


で、現場では、霞が関はあんまり出しゃばらないでほしいと思っている。現場はみんな自分のルールを作っているわけ。このように、ルールだらけなんですけど、それが出来たり消えたりしているんですね。


これは法の支配とは大変違ったものである。法の支配に反対という意味ではなく、法の支配をよくわかっていない。法の支配を実行できないのが、日本の特徴です。(略)



法律をつくるのに一番抵抗があるのは、イスラムなんです。それは、イスラム法があんまり立派過ぎるからです。(略)サウジアラビアみたいに、そもそも民主主義でもなんでもないという国もある。イスラム法と、近代化に必要な議会の立法行為との関係が、整理がつかない。(略)



こういう奇妙な状態のまま、グローバル経済は進行していて、この現実を、ヨーロッパ=アメリカ連合は、承認せざるをえない。承認するとは、そこから影響を受けるということです。キリスト教文明が、非キリスト教文明のルールを承認して、そこから影響を受けざるをえないくなっているのです。(略)


これから、日本やアメリカの企業がどんどん中国企業に買収されると思う。気がついたら上司が中国人。そうなれば、中国人のものの考え方に、キリスト教徒が影響されていく。そういう新しい局面が、二十一世紀の基調になっていくでしょう。


O なるほど。(略)


H イスラム教国の科学技術者の国際会議を、傍聴したことがあるんです。そこで出ていた数字は、世界の主要国が科学技術の研究開発(R&D)にどれぐらい資金を投じているかだったのですが、イスラム諸国が最低でした。


理工系の大学もとても少ない。理工系の大学を出ても、あまり就職口がない。製造業がないからね。(略)


オイルマネーが貯まるでしょ。日本人だったらまず、そのオイルマネーで、自国の産業を作りましょうとか考えるんですけど、イスラムには必ずしも「自国」という発想がない。

自分たちとは、王様の一族のことだったりする。そうすると、まず贅沢をして、子供たちを留学させて、あとはスイスの銀行に預金し、余ったお金は欧米に還流してしまう。(略)


O ちょっともったいないような気がしますね。
ともあれ、こうやって世界各地の国民や民族の目立った行動様式や態度を少し見るだけでも、様々な宗教、とりわけ世界宗教の影響が極めて強いことがよくわかりますね。(略)


そういう中で、キリスト教に下支えされてきた文明がどのように変容していくか。あるいはどのように自分を乗り越えていかなければならないのか。それが次の主題ですね。(略)


キリスト教インパクトが、良い意味か悪い意味かの判断は措くとしても、いかに大きいかということ、そのインパクトが伝わったり、残ったりするときの論理がいかに屈折したものであったかということ、こうしたことが分かってもらえればいいかなと思います。」


〇 ユダヤ法のように、弱者に思いやりのある法律が、世界にはあるのだ、と正直なところ、びっくりしました。また、その法律が一神教という形で、支配者をも従わせる法になっているということに、感心しました。

また、「法の支配をよくわかっていない。法の支配を実行できないのが、日本の特徴です。」という文章を読み、まさに、今の「公文書改ざん」などは、自分のルールでやりたい人々のやり方なのだと、とてもよくわかりました。法の支配をよくわかっていない人が政治をやっているのですね。

日本のエリート層は、皆、そんな感覚なのだ、としみじみとわかりました。
キリスト教の精神から一番遠い所にいるのが、日本の政治家や有力者で、だからこそ、私たち庶民の苦難が続いているのだと、思いました。