〇 青春期、自己流に聖書をかじり始めた時、最初に心に残ったのが、
この「伝道の書」でした。聖書と言えば、「善いことが書いてる本」と漠然と思っていた私は、こんなにも悲観的な言葉が並んでいるのに圧倒されました。
そして、その頃の自分の気持ちに近いものを感じて、聖書に興味を持ちました。
全部は載せられないと思うのですが、少しだけ読み返してみたくなりました。
あの頃読んだ「1955年改訂版の聖書」で読みたいと思います。
今は、「新共同訳」になって、「コヘレトの言葉」と訳されています。
「伝道の書
第一章
伝道者は言う、
空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、
その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変わらない。
日はいで、日は没し、
その出でた所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、
しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、
人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽きることがなく、
耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下に新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と
言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、
すでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、
また、きたるべき後の者のことも、
後に起こる者はこれを覚えることがない。
伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
曲がったものは、まっすぐにすることができない、
欠けたものは数えることができない。
わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
それは知恵が多ければ悩みが多く、
知識を増す者は憂いを増すからである。」