読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「正義」を考える  生きづらさと向き合う社会学

「<物語なき現代社会>

こういう人生_すなわち、何のためにあるのかわからない人生、むだな時間のように感じられてしまう人生、有意義な結果に向かっていく過程とはどうしても思えないむだな時間としての人生のことを、僕は「物語化できない人生」「物語にならない人生」と言う言葉で要約したいと思います。


この場合の「物語」とは次のように考えて下さい。自分の人生はこの方向に向かっている、こういうことを目指していると考えるとしたら、その目指している先は必ず良いこと、有意義なことでしょう。それは、何か価値あるものに、例えば「立派な社会学者になりたい」でも何でもいいのですが、何か価値ある終結に向かっていく、言ってみれば目的論的なプロセスです。


自分の人生はこういうところに向かっていて、だからこそ、今はいろいろと苦しいことがあり、否定的なことがありながらも、それを乗り越えて何かに向かっていこうと思う。そのことで人生に意味があると感じられる。そういう時間のことを「物語化された人生」と言っておきます。つまり、物語とは、「価値ある終結へと関連付けられている出来事の連なり」のことです。」


〇大澤氏の言いたいことはよくわかります。ただ、この文脈とは関係はないけれど、ふと頭に思い浮かんだ、別の事がら、というのも、感想として少しずつ書かせてもらいます。

この「物語」ということで思い浮かんだのは、あの「中空構造日本の深層」で河合隼雄氏が挙げていた、「神話」や「精神の生活」ハンナ・アーレントが挙げていた「伝説」です。

少し振り返ります。

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アーレントの「精神の生活」からの引用を、もう一度載せたいと思います。

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「人間社会が疑う余地ないほど膨大に多様なのはなぜかについての「創世の物語」[「初めに」]ほど暗黒と神秘に包まれて見えるものはないのである。」



「我々が日常世界で費やすのは現実のほんのわずかであるが、そこでは、我々が確信できるのは、地球上の空間距離が縮まるのと同じように、我々の背後の時間が決定的に縮まることだけだ。

ゲーテの「三千年」(”三千年について/釈明することのできない人は/
経験なきまま闇の中に留まり/毎日毎日をいきるがよい”)を思い起こしてみると、我々がたかだか数十年前、古代と呼んでいたものは、我々の祖先にとってよりも今日の我々にとってずっと身近である。」


「そして我々がこういう状況の中でせいぜいできる事は、これまでの世代が神秘的な「初めに」[創世の物語]をなんとか把握するために伝統的に理解の手がかりとしてきた伝説にたちもどることである。


私は創設の伝説のことを指している。それは明らかに、あやゆる統治支配の形式やそれを動かす一定の原理よりもその先にある時間にかかわることである。


しかし、それが取り扱う時間は、人間の時間であり、それらがさかのぼった端緒は、神の創造ではなくて、人間が作り上げた一連の出来事なのである。そのことについては、昔の物語を想像力を働かせて解釈することによって記憶に達することができる。


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〇 そして、もう一か所、「中空構造日本の深層」の言葉を挙げます。

人間がこの世に真に「生きる」ためには、個々人にふさわしいメタファーの発見と、それの解読を必要とする。ところが実情は、既に述べたような現代の管理的な社会機構によって、メタファーは全体の構成から段々と排除されつつある。それが現在生き残っているのは、むしろ文化の周辺部に存在する、マンガ、SF、コマーシャルなどの世界ではなかろうか。

ここは、何を言っているのか、ずっと疑問でした。それと同じことを言っているのがが、この大澤氏の文章ではないかと思いました。