「3 絶対王権をめぐる謎_市民社会のパラドクス
<資本主義の揺籃期>(略)
<絶対王権をめぐる疑問>
さて、そこで僕は疑問に思ったわけです。絶対主義王権の次に革命が起こり、王権が倒れたら市民社会になりました_という筋書きをわれわれは当たり前のように受け入れている。(略)
しかしよく考えてみると、アジア的専制国家も、しょっちゅう革命によってつぶれている。中国だって、農民が反乱を起こして、王朝が何度もつぶれています。でも、それで市民社会になるかというと、ならないんですね。
つまり、家父長的家産制がつぶれた後にどうなるかというと、再び別の家父長的家産制ができるわけです。だから、王権が倒れれば、王権がない社会ができるというのは自明ではない。ところが、一見よく似ているのに、絶対主義王権の場合は、革命後に、絶対主義王権が反復されるわけではない。(略)
ウェーバーはこの二つが類似していると言う。確かに表面的には似ている。しかし、それを除去した後の大きな相違は、表面的な類似を超える何か実質的な違いがあったことを示しています。」
「僕はこう考えるべきだと思います。要は、絶対主義王権と市民社会は違うようでいて実はほとんど同じなのだ、と。別の言い方をすれば、絶対主義王権は_市民社会の誕生にとって足かせになったと言えなくもないが_、むしろプロモートしたというか、市民社会を生み出すポジティヴな要因だったという側面のほうを、本当は重視すべきではないか。
では、そのようにポジティヴかと考えると、われわれの課題とつながってくるわけです。」
ところで、何かをやろうとすれば、それを支持するポジティヴな理由とそれを控えた方がよいと考えたくなるネガティヴな理由が同じぐらいあります。結論的に言うと、ここで問題になっているのは、知識というものは、いかにこれを連鎖させても選択を決定するものにはならない、要するに、意志を形成しないということです。
われわれは、前章でアリストテレスについて検討しているのですから、次のように付け加えてもよいでしょう。「アリストテレスのように考えなければ」と。アリストテレスの場合、知は最高善を志向しているはずです。だから、知の集積が、それこそ善い選択を導くはずなのです。
しかし、この前提は、とっくに放棄されている。すると、知をいくら連ねても、それは選択や決定を一義的に指し示すものではない。知をいかに重ねたとしても、何をすべきかというところまではいかないのです。とすると、知と政治的決断の間を媒介するものが必要になる。それが君主です。王の意志が、知と決断を媒介するのです。
ある意味で、真にやるべきことは、官僚がほとんどすべて済ませています。官僚が用意した文書の最期に、王が署名をする。このことで、文書に記された知が「意志」へと変換されるのです。ヘーゲルは、こう言っています。「王の担っている役割は、法に、主体的な「我欲す」を装備することである」と。王を通じて、事実命題が当為命題へと変容するわけです。
つまり、ここで問題になっているのは機能としての君主です。知を決断へとつなぐ機能が必要で、それを実体化すると君主というものになる。だから、国家には必ず君主がつきものだとヘーゲルは考えた。
こう考えると、実際に王がいるかいないかということとは別に、近代的な政治システムは、知と決定を媒介する最終的審級をどこかに装備しておかなければいけない、ということなのです。
それを抽象的に表現すると主権という言葉になります。(略)
〇「知をいかに重ねても、何をすべきか、というところまではいかない」という文章を読んで、ずっと気になっていたことをもう一度振り返ります。
「サピエンス全史 下」から引用します。
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「つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることが出来る。」
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〇「主体的な「我欲す」」=主権の問題です。
科学には、何をすべきかということは決められない。
サピエンス全史では、その意志の前提になっているのは、宗教やイデオロギーだと言っています。
でも、私たちの国には、この「宗教やイデオロギー」に当たるものがないのです。