読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「正義」を考える  生きづらさと向き合う社会学

「<反転する物神化>
それゆえ、コミュニタリアンが資本主義を視野に入れていなかったとすれば、リベラリズムは、逆に、資本主義に内属しており、それに規定されているのです。(略)


でも、現代ではこの逆でしょう。労働者の内的な経験や人格的な関係が、商品(物)や物象的な関係に外化されているわけではない。そうではなくて、今日の労働者は、その内的経験や人間関係そのものを売っている。「人情がないよね」どころか、今や人情が商品になっている。さまざまなサービスや感情労働のようなものもそうですね。あるいは、繊細な内的経験を表現する「(芸術)作品}のような商品もあります。(略)



つまり「人と人との関係」として現れているけれども、背後にあるのは、資本の論理に規定された「物と物との関係」(商品の関係)ではないか。(略)」



「<共有地としての一般的知性>
物神化が反転する社会経済的な原因を押さえておきます。このことを考えるのに、一番基本的な図式を与えてくれるのは、さきほどその名を出したアントニオ・ネグリです。このネグリに「未来派左翼」という著書があります。原題は”Goodbye Mr Socialism"で、直訳すれば「社会主義さん、さようなら」ですね。(略)


1.経済学に、固定資本と流動資本という概念があります。(略)
さて、今言ったように、固定資本の典型は機械ですが、現在、最も重要な固定資本は、人間なんですね。(略)


なぜ人間が重要な固定資本になるかというと、生産力の最も重要な源泉が人のアタマの中にあるもの、すなわち、知識あるいは情報だからです。(略)


ネグリを初めとする現代のマルクス主義者がマルクスを批判的に継承する中で、近年この概念の重要性が増してきています。一般的知性というのは、社会的協働の中で自然に生み出されてきた知識や情報のことです。(略)


現在のわれわれにとって一番わかりやすいイメージは、ウィンドウズを初めとするコンピュータのOSについての知識ですね。あれが、非常に大きな生産力の源になるのは理解できるでしょう。


2.ところで、一般的知性は、個人のものではない。それは、伝統的な言葉を使えばコモンズ、すなわち一種の「共有地」です。(略)


2010年に柄谷行人さんの「世界史の構造」という大著が出ました。この本の中に「共同寄託pooling」という重要な概念が出てきます。(略)


この共同寄託という概念を借りれば、一般的知性は、共同寄託の最後の、そして現代的な回帰の様式ではないでしょうか。かつては、コモンズは、バンドによって共同寄託されたものだった。今日では、人類のために共同寄託されているコモンズこそ、一般的知性です。」