読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「正義」を考える  生きづらさと向き合う社会学

〇 家族に病人が出て、あたふた忙しく心配し、その後自分も体調を崩し、
しばらく「難しいこと」を考えるのが嫌になっていました(>_<)。

若い頃の私は情緒不安定ですぐ投げやりになり、やけっぱちになってなんでもすぐに投げ出す続かない人でした。

最近はその頃に比べると、ずいぶん大人になったなぁと、自分で自分を褒めていたのですが…(^-^;


所詮、生活が平安で困難な問題にぶつかっていなかっただけなのだ、と
この何日かで、しみじみと思い知りました。

本当に苦しくなると、結局祈ることができませんでした。
自棄酒ややけ食いのような行動に逃げたくなり、自分の身体が砂になって崩れていくような、何もかもが今すぐ終わってしまえばいい、と思うような気もちでした。

でも、おかげさまで病人(娘)も回復し、とりあえず命に別状もなく、後遺症も残らず、ホッとして、やっと私も元気になりました。

弱いなぁとつくずく思いました。

途中になっていた「「正義」を考える」の続きをメモします。
実は、この辺から私の頭では太刀打ち出来ないような更に難しい内容に
なっています。

3.(略)すなわち、コモンズとしての一般的知性に対して、一種の囲い込みがなされ、私有化が成立するのです。(略)

つまり、直接に法的な手段によって、一種のフィクションとして私的所有が設定されるのです。それこそ、知的所有権です。こうして、一般的知性の私有が可能になります。」


「<マイクロソフト社はどのように利益を出しているのか>
4.以上のような富の創出の方法は、古典的な剰余価値の生産の仕方とは、まったく異なっています。それは、「資本論」が想定していなかった方法です。(略)


では、どうやって利潤を出しているのかというと、これはよく使う言葉では、デファクトスタンダードということですね。つまり、歴史的な偶然その他の要因によって、もうこのコモンズしかないという状況になっている。(略)


マイクロソフトの利益は、マイクロソフトが体化している一般的知性に対する使用料なのです。」



「<国家の権威の両義性>
5.(略)したがって、現代社会においては、一方では、国家の役割が弱体化しているのに、他方では、圧倒的に強化されてもいる。国家は、奇妙な両義性の中にあるのです。



6.最後に、今日では、一般的知性だけではなく、通常の物件、例えば自然資源すらも、一般的知性と同じ論理で私有化されるようになっている、ということを指摘しておきます。その典型例は石油です。(略)


石油の価格とは何か。それは、結局、石油という自然資源に対して所有権を持っているもの、あるいはその供給量をコントロールできる権利をもっている者、そうした者たちに支払う、使用料・賃貸料のようなものです。つまり、石油の価格を支配する論理は、一般的知性の価格を支配する論理とまったく同じです。


以上、ネグリの議論を主な参照先としながら、現代の資本主義の中で、どのようにして利潤が生み出されるのか、その基本的なメカニズムを見てきました。(略)


だから、 物神化のベクトルが、古典的なものとは逆になるわけです。(略)それに対して、今日では、われわれは、直接に「人と人との関係」を購入しているようなものです。しかし、その「人と人との関係」、は商品交換以前の人格的関係そのものではない。


そうではなく、「資本に律せられた物と物との関係」が、「人と人との関係」として現れているだけなのです。」