「4 「新しい傷」はいかに癒されるか
さて、第1章の冒頭では小説を紹介しましたので、ここでも別の小説を紹介して本書を締めくくりたいと思います。
簡単に言うと、火の女の子は傷つける人です。しかし、同時に、留意すべき事は、火の女の子は、傷つけることによって自分自身も傷を負う人だということです。(略)
この小説は最後に、こういう一節で終わります。
私[語り手]はかれらに訊いた。痛いの?すると傷痕のある人々は頷いた。うん。でもね、それは何かすてきな気持ちだったんだ、と彼らは言った。長く感じられる一瞬の間だけ、世界が彼らを抱きしめてくれるような気がしたのだった。
(略)つまり、人を傷つけて、自分自身も傷を負うのが火の女の子ですが、実はその人こそが本当の癒す人だったという結論です。(略)
僕は、共同体の中にあって、しかし、回収できないプラスアルファが<普遍性>に繋がって行くという話をしました。この場合、この傷がそのプラスアルファにあたるわけです。この傷こそが、狭い共同体の中で息苦しさを感じている者にとって、解放へと向かう唯一の戸口になっている。
だから、傷を負うことで人が繋がる。傷を負うということは、つまりプラスアルファを、否定性を実感するということです。傷を負って、あるいは傷を負わされることで、かえって傷が癒される。傷を負うということは、共同体が自分に付与するアイデンティティに還元できない否定性を、自分の中に刻み付けることです。
そのことで外へと開かれる可能性が宿る。そういう寓話として、この小説を読むことができるのではないでしょうか。」
〇 …というところで、この本は締めくくられています。
この本は、社会学者の書いた本です。その方面の知識や見識が全くない私には、レベルが高すぎて、わからない所が多い、というのが実感です。
ただ、ここに書かれていたことをきっかけに、「ふと思い浮かんだこと」を
感想として、書いてみます。
この、「癒す人」という小説は読んだことがないのですが、率直な印象としては、
なぜそんなことをするのか…
そうなってしまう、というのが実際なのか?と想像していたのですが、
「…でもね、それは何かすてきな気持ちだったんだ…」「長く感じられる一瞬のあいだだけ、世界がかれらを抱きしめてくれるような気がした…」
とあるのは、そこにもっと積極的な「すてきな気持ち」があるんだ…と。
そして、その「自傷行為」をする個人を共同体に見立てた場合、
ここで、大澤氏が何度も例にあげている、「ヒンドゥー教の女性の殉死」なども、ある意味、「傷つけること」「傷つくこと」で「癒し」を演出していたということなのか?という恐ろしい連想も湧いてきました。
もともと大澤氏の名前は「社会性の起源」という文章で知りました。
その社会性の起源の中では、「サルの行動」が多く取り上げられています。
サルが進化してヒトになったので、当然とも言えますし、実際サルを見てヒトを考えるのは、説得力もあります。
でも、私には、このサルとヒトとの間に、本来、あの「サピエンス全史」で語られていた、「人工的な本能」があってしかるべきではないのか?
という願望もあります。
キリスト教圏では、愛とか真とか信とか希望とか、本来サルにはない概念が語られて、人工的な本能として、ヒトに備えられました。少なくとも、備えようとして、ヒトは教育されているように見えます。
でも、私たちの国では、サルとヒトとの間にある、人工的な本能は、「みんな一緒に
」「みんなに笑われないように」「和を乱してはいけない」と自分を押さえるものになっていて、なんらかの積極的な価値を語ることは、むしろ、良くないことのようになっています。
その一番の根っこにあるのが、ここで語られていた「普遍性の拒否」にあるのではないか、と感じました。
引用します。
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「それに対して、周辺的労働者がコミットする原理主義やエスノナショナリズムのほうはもう少し複雑です。(略)彼らは、普遍性をことさらに拒否する。普遍性を標榜しているどのような価値や概念も、欺瞞であるとして、拒否する。その意識的な拒否をあからさまに示すために、あえて、何かに原理主義的に、あるいはナショナリスティックにコミットしてみせるわけです。」
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〇 ここでは、「周辺労働者」の意識として語られていますが、私には、日本人気質と言い換えたほうがぴったりくると思いました。
そして、大澤氏は次のように書いています。
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「しかし、普遍性を僭称するどのような価値や概念も贋物に見えるのは、実は、まさに本当の普遍性を要求しているからでしょう。とすれば、原理主義やエスノナショナリズム、ポピュリズムなどは、ことさらに普遍性を拒否して見せる、そのアイロニカルな態度において、逆に普遍性を指向していると考えられる。」
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これも、まさに私たちの潜在意識を言い当てているものだと思います。
この本も難しかった…。でも、いろいろなことを考えさせてもらいました。
そして、この大澤氏ご自身、とても一生懸命に考えておられるエネルギーが
こちらに伝わってくるような本でした。
これで、「「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学」のメモを終わります。