読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (精神的里心と感覚的里心)


「ルソンのように、死ぬことは不運でなく当たり前であり、生きているのが非常な好運で、到底通常の応対とは言えない場合すらある。
そういう場所へ肉親が連れて行かれれば、残されたものは心配するのが当然である。と同時に、肉親が異常に心配しているであろうということが、逆に、戦地にいる人間にとっては、異常な心配になって来るのである。いわば心配の増幅作用とでもいおうか。


そうなると、今、ここで、自分が確実に生きているということを何とかして知らせたい、という気持ちが異常なほど強くなり、何らかの拍子に、それが発作的にすらなっても不思議でない。



また自分が苦しい時には、何とかこの苦しみを肉親に知ってもらいたいという感情が激発的に出てくる。こういうことは、何も現代だけでなく、また日本人だけでもなく、おそらく人間に共通した感情であるらしい。(略)


ダンテ学者の里見安吉氏も同じようなことをいわれた。地獄に落ちた人々は、この思いもよらぬ「生者ダンテ」の訪問をうけると、みな「自分がここに、このような状態でいることを、人々につげてくれ」と願うそうである。そして例外は裏切り者だけだそうである。(略)


前述の逃亡常習兵に、浅海特派員が、お前のことが新聞を通じて老母の耳に入るようにしてやる、何でもいいからおれの言う通りにして手柄みたいなことをしゃべれ、と言ったら、彼でも、百人斬りでも千人斬りでも万人斬りでも、誘導されるままにしゃべり、いわれるままに演じ、命じられるままに写真を撮らせたであろう。」



「一少尉や一兵士にとって、こんなチャンスは生涯を通じて絶対にあり得ないことなのである。しかもその生涯は次の瞬間に終わるかも知れない。確実に終わるかも知れない。


この感じ、「知っちゃいない、明日は生きてないかも知れないんだ」という感じ、前線のすべての人間に内在する「退廃」などという言葉では表現しきれないこの感じ、あれも死んだ、これも死んだ、次はオレの番かというこの感じは、向井少尉の最後の長広舌以外の記事全編の背後にみなぎっている。(略)


そしてこの記事の登場人物、浅海、向井、野田の三人のうち、この感じを持っていないのは、主役兼舞台監督の浅海特派員だけであろう。彼だけは冷静で計画的で、すべてに気を配り、絶対に「虚報」の証拠が残らないように、記事も他の記者にも、カメラマンにも、二人の上官にも細かく配慮する余裕をもっている。しかし二人にはそれがない。そこで、この記事が「創作」であることの証拠を提供してしまったのが、結局、二人の「談話」なのである。」


「私の部隊で、家に一通のハガキを送り得たのは、部隊長と私だけである。この何の変哲もない一枚のハガキを送るために、自分が何をしたか。それを思い出してみれば、私自身にとってはそれだけでもう疑問の余地はない。特に発作的ともいえる「里心」が起ったとき、人は、そのためには全く「土下座」どころか「泥棒」に等しいことをする。(略)


以上のような状態を「精神的」とでも言うなら、これとは全く別種な「里心」があり、それがいわば「感覚的」ホームシックである。この里心は簡単にいえば、外国旅行者が、そば、すし、のり、お茶漬け等に郷愁を感じ、予定をくりあげて帰国したという話と似た点がある。(略)


兵隊は、たとえ内地にいても、環境のある面ではほぼ外地同様で、しかも最低の状態だと言ってよい。俗にこれを「タタミ、ナマモノ、ヤキザカナ」といった。これは当時の各家庭では貧富を問わず必ずあるものでありながら、軍隊ではほぼ絶対にないものであった。もっとも海軍はそうではなかったらしい(略)」



「兵隊が飢えているものは「職業的サービス」でなく、こたつに足をつっこんでタタミの上にねそべる、そういう形の「家庭的サービス」であり、「料理屋の味」でなく文字通り「おふくろの味」であった。これがまた家庭の遠い兵士の郷愁から、「兵隊バアサン」が生まれ出でた理由でもあろう。」



「兵隊が一番嫌った副食が「スリ餌」といわれた料理であった。当時、イワシは最下級魚で、九十九里で取れすぎると油を搾り、しめかすは肥料にしたそうだが、この肥料の原料が頭もはらわたもそのまま蒸気釜でくたくたに煮られ、魚の原型が全くなくなり、骨やら頭やらはらわたやらが、わけがわからずごちゃごちゃになったものがアルミの皿にうすぎたなく盛られると、人間の食事というより、まさに「スリ餌」という感じであった。(略)


従って、軍隊食というものは、それから受ける感じは、いわば「外国の食事」どころか「動物のエサ」という感じで、当時の普通の「日本食」でもなければ一般家庭の普通の食事でもないのである。」



「こういった「エサ」に等しい食事や動物に等しい生活を何年も強制された者が、全く予期せず、不意にタタミに座らされて、まがりなりにも「日本食」らしきものを出されたらどうなるか_人は私の言うことを信用しないかも知れないが、大の男が、いわば歴戦の勇士、あらゆる苦難に耐えて来た人々が、文字通り、手放しで泣き出すのである。


この「感覚的里心」ともいうべきホームシックは、それほど強烈なものなのである。」