読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (精神的里心と感覚的里心)

「正座して、まず味噌汁をとった。かすかな湯気と共に、味噌と煮干しの匂いが鼻孔に入ってきた。その瞬間涙が出て、鼻孔を流れ、湯気と入り混じった。味噌汁の匂いで涙を流すなどということは、何となく恥ずかしく、照れ臭かった。

私は歯をくいしばって涙を押さえようとした。しかしそうすればするほど涙はあふれ、
目にたまり、手がふるえてきた。味噌汁をこぼさないように、私は極力気持ちを押さえてそれを静かにアルミ盆の上におき、両手を握りしめて膝の上におき、うつむいたまま、湧き上がって来る涙を必死で押さえた。


私はうつむいていたので、他の人に気づかなかったから、こういう状態になったのは自分だけかと思っていた。だが全員が同じだったのである。鼻をすする音がした。やがて一人が耐えきれなくなったように「ムムッ」といってこぶしで涙を拭った。それが合図のようになって、あとは全員が、堰を切ったように同時に声をあげて泣き出した。」



「こういった観点から「百人斬り競争」という記事をみて、これを厳密な意味での私信が送れない世界での、新聞を利用した一種の私信と考え、その記事の内容と当時の検閲下で兵士たちが故郷に送った手紙と、どちらがより具体的な事実を記しているかを比較してみると面白いであろう。

私の時代には、たとえ苦心惨憺して文字通り一枚のハガキを盗んで手に入れても、今は何月何日で、その時点で自分がどこにいるかということを書くことすらできない。
ただハガキがつき、私の筆跡で何かが書かれているということが、このハガキを出したときには生きていましたよ、という証明であるにすぎない。

しかし前述のように、多くの家族たちは、この証明すら入手できないのである。(略)


特に、検閲官の気に入られそうな言葉を並べるように無意識のうちに自己規制してしまい、心にもないことを書いても、罪悪感はもちろんのこと違和感すら感じなくなってしまうのである。


同じような自己検閲という精神状態が新聞社にすらあることを「諸君!」昭和四十八年四月号の林三郎氏の「さようなら自己検閲する新聞社」で知り、思わず「これじゃまるで軍隊だ」と呟いたのだが、軍隊内の言論の統制も、これと非常に似た面があり、軍人はそれによって形成された一種の資質が第二の天性のようになっていた。


私は向井・野田二少尉の言葉の背後に、この資質を見る。どうせ本当のことは言えないし、書けない。そしてそれを問題と感ずる問題意識すらなくなっている。

従って、二人にとっては、自分のことが、記事という形の私信によって内地にとどくことが第一義で、その記事の内容は、いわば浅海検閲官が最もお気に召すものであってかまわない、ただそれによって確実にとどいてさえくれれば、それでよいのである。まして記事の内容は新聞社が責任をもつことなら、相手が暗に指示する通りにしゃべって何の不都合があろう。」

〇 私はこの当時のことはほとんど知りませんし、「百人斬り」という言葉は聞いたことがあっても、特に興味もなく、何も知ろうとしませんでした。でも、今、このネット上で見ると、この向井・野田二少尉は、戦後、多くのバッシングにあったと、書かれていました。

だからこそ、山本氏は、こんなにも何度も、この二少尉のことを書いているのだと思います。

また、ここで、山本氏が「第二の天性」と言っているのものは、
まさにあの「サピエンス全史」の中にあった、「人工の本能」と
同じものなのでしょう。
私たちの「文化」はそういう文化なのだ、という自覚を持つ必要がある、
と思いました。





「心にもないことを書く、これがだれ一人として不思議に思わない当然のことであった。しかし私の場合は私信だったから、母は、その美辞麗句の中からある一行を探し出し、その一行の指示に従って、私の言った先がルソン島で、このハガキを出したときはバギオにいた、ということを的確に割り出した。

従って私の私信には社会的責任はないといっても、この美辞麗句を連ねたときの、自分が書いている言葉への無責任さでは、二少尉と同じであったといえるであろう。


従ってそのハガキをつきつけられて「お前は戦争中は超国家主義であったな」といわれれば、ちょうど「百人斬り競争」の記事をつきつけられて、「お前は戦争中残虐行為をした殺人鬼だ」といわれた二少尉と同じような立場に私が立つわけである。従って私には、この二人が特別に異常な人間であったとは考え得ない。だがこのことは後にまわそう。



ただ「百人斬り競争」の場合には罪悪感がないのは、向井・野田両少尉の二人だけではなかった。浅海特派員にも全然なかったように思われる。
戦意高揚のため「百人斬り競争」を事実として報じた浅海特派員にも、対中国ざんげのため「殺人ゲーム」を事実だと断言した本多記者にも、共に一種の「使命感」に似たものはあっても罪悪感はあるまい。


その内容が事実か否かはどうでもよく、ある目的のためある記述を事実とすることに意義があると考え、それを当然とする考え方は、これもまた、この二少尉の考え方と非常によく似た点があると思われる。」



「ただ軍人がそうなった理由の一半は、前述のようなわけで、これはこれなりに私には理解できる。だが新聞記者がなぜそうなるか私にはわからない。これは林三郎氏に分析して頂きたいと思うが、案外、新聞記者には軍人と似た資質があるのかもしれない。(略)


前にも記したと思うが、これは新聞が長らく実質的には「大日本帝国陸軍内地宣撫班」であり、戦後、「マッカーサー宣撫班」に切りかえられたためでもあろう。
「戦意高揚のために書いた」という言葉自体が「私たちは内実は新聞記者でなく宣撫班員でした」という自白に等しい言葉だが、事実、「百人斬り競争」にしろ「殺人ゲーム」にしろ、宣撫班文書としてなら立派なものであり、これを書いた人たちはみな実に有能な宣撫班員だとはいえる。


そして宣撫班員とは、どんな服装をしていようと実は軍人であり、その行動はすべて「作戦行動の一環」として行われているのである。
そしてそういった体質があらゆる面でそのまま残ったためと、もう一つは、日本人自身がやはり長らくの習慣で、宣撫されないと落ち着けないような精神状態_いわば子供の「抱きぐせ」のような「宣撫されぐせ」が全身にしみ込んでしまったため、この二つが両々相まって、非常に奇妙な状態が作られているようにも思われる。(略)



また「軍人イコール病人」論にもどるが、以上のような精神状態はすでに非常に病的える。しかし前述のように、戦場では普段はこれが表面には出ないで内攻している。その最も大きな理由は、実に想像に絶する激動と疲労なのである。」


〇 新聞記者が実は宣撫班員という話を聞き、そう考えると情けなくはなるけれど、
非常に辻褄が合う、と納得します。

新聞記者のみならず、テレビ局の人々も結局はそうなのでしょう。
先日、BBCで、ドキュメンタリー「日本の秘められた恥」という番組が放映されました。youtubeにアップされているのを私も見ました。

こちらのブログで紹介されています。ご挨拶はしませんが、リンクさせていただきます。)

これだけの「事実」を当事者の国、日本では全く報道されません。
隠蔽されています。
世界じゅうの人々が知っていることを、日本人だけが知らされないのです。
異常な状態です。こんなことが、私の目の前で起こっているということが、信じられません。

つまり、マスコミは、完全な安倍政権の「宣撫班」です。
そして、隠蔽してくれることを望む体質が、私たち日本人の中にある、というのが、山本氏の指摘です。

よく言われる、「上手に騙して…」体質です。
「浮気をするなら最後まで隠し通して」とか
「(癌になっても)自分には知らせないで」とか、知らずにいる方が幸せだ、
という体質です。


「だが、私がこういう場合、一対なぜ人間は「人殺し」となると、あれほど熱中し、あれほど無我夢中で働き続けられるのか、という意味ではないし、自分だけはそういう人間ではないという前提に立って「だから人間は罪深い」といった人道的お説教をしようというわけでもない。

それは安全地帯の人々の発想であり、人々が夢中で動き回るのは、外形はどうであれ「殺されまい」としているに過ぎないことを私は知っている。殺されまいともがけば、人間であれ動物であれ、精根つきるまで、息の根がとまるまで力のありったけを振り絞って激動する。」



ヴェトナム戦争の報道を垣間見て、一番不愉快なのは、報じている人が「勇敢・殉国」「臆病・敗走」といったような視点で対象を見、それを宣撫班的立場で報じながら、木に竹をついだように人道的なコメントをくっつけたり、傷ついた者の痛みを痛みとするというようなことが平気でいえる無神経さで、時にはあまりのひどさに嘔吐をもよおしそうになるが、そういう位置に立ち得ない者、すなわちその中にいる者にとっては、全く同じ行為で、それが、これは「進撃とか退却とか突撃とか撤退とか勝利とか敗北とかいうことに関係がない」と言った理由である。」



「しかし、何ごとにも、反面がある。それは、その結果生ずる人間を人間でなくしてしまうぐらいの、強度の疲労である。「戦場に絶対ない病気は不眠症」という冗談があったが、絶えず生命の危機にさらされているのに、心配で眠れないなどということは、まず絶対にないといってよい。


エネルギーを出し切って精も根もつきはて、暗闇に吸い込まれるように眠りに落ち、汚物の中だろうと腐乱死体の間だろうと、横になって死んだように寝込んでしまう。(略)


ところが何かの拍子に、一瞬、ごく短時間でも、不意に事態が一変して、少し何か心に「余裕」を生ずると、味噌汁のにおいで号泣するような状態、否、それ以上に奇妙な状態になってしまうのである。私がそれをはじめて経験したのは、最初にバギオに出張した時であった。」