読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (戦場で盗んだ一枚のハガキ)

「私は椅子をすすめられ、彼の脇に腰掛けた。そのとき、サイド・テーブルの代わりをしている書類箱の上の、一枚の軍事郵便ハガキが目に留まった。「あ、あれを野戦郵便局に持って行けば家につくわけだ」私の目は吸い寄せられるようにそこへ向かい、釘付けになった。ハガキの上に家族の顔が浮かんだ。過去のさまざまな日の思い出が、まるで映画の画面のように、白いハガキの上を走った。


K中尉はうつむいて書類を見ながら、低い声で熱心に何かを説明してくれた。しかし私の耳には何も入らない。参謀によばれて、K中尉は時々中座した。二度目か三度目、彼が座を立った時、私の手は、まるで手自身が一つの意志をもっているかのようにそのハガキにのび、目にもとまらぬ早さでそれを図嚢の中に入れた。


その時ハッと我に返って、慌てて辺りを見回した。四つの机の内、三つは誰もおらず、斜向かいの曹長は、うつむいて、一心に書類を書いていた。K中尉が参謀の部屋から出て来た。そして何も気づかず、椅子にかけると、又熱心に説明してくれた。私には、もう何も耳に入らなかった。」


「今考えると実に奇妙なことなのだが、日本軍には、自分たちの総司令官は天皇だという意識が全くなかったのである。天皇とはもっと何か別のものらしかった。従って編成命令に「御名御璽」とあるのが、逆に異様な感じがして、私を驚かしたわけである。(略)



では一体日本軍の、実質的な最高司令官はだれであったのだろう。否、少なくともわれわれ下級幹部が、「あの人が最高司令官で、最高責任者で、あの人の一言で軍司令官でも師団長でも罷免できる」と意識していた人がいたであろうか。それは確かにいなかった。


いなかったから「御名御璽」に驚いたのである。この点。日本軍とは、人類史上空前絶後の最も奇妙な軍隊かも知れない。「実質的には総司令官がいない」という_。これがいわゆる、「天皇制無責任体制」というものかもしれない。



私は時々思うのだが、それが軍隊と呼ばれようと自衛隊と呼ばれようと、そういった組織をこのような体制で保持することは、絶対にしてはならない、とは断言できると思う。何しろ武装集団である。電報一本でその責任者の一人を有無をいわせず罷免できる強力な責任体制なしで武装集団を保持することは、非常識ではないであろうか。」


「留守家族は不安の余り互いに消息を交換する。私のハガキがつけば、それで安心する人も多いはずだ、自分のためだけでない、といった「みなのため」という屁理屈で自分を納得させた。奇妙なもので、そう考えると、何か自分が立派なことをしたような錯覚が抱けるのであった。


おそらく人間にとって一番強い誘惑はこの考え方であろう。私が内心考えたことの前提はみな事実ではあった。報道がウソで、正確な情報がない社会では、口伝えの報道が恐るべき早さで伝わる。私のハガキが家につくと、まるで魔術のように、あの部隊は無事に比島についたという噂が留守家族の間に広まったことも事実であった。


母も「何か連絡がありましたら、どうか伝えて下さい」という依頼を数人からうけていた。もちろんこれはお互いに依頼し合っていたわけである。


戦時下の人々は、何か情報があれば、それを伝えに行くのにいわば「千里の道も遠しとしない」のを、みな、当然のことと考えていた。母も、小田原の近くの、駅から何時間も歩かねばならぬ農家まで、一日がかりで伝えに行った。といっても、これは別に美談でなく、当時は当然のことであった。従って私は、不安の日夜を過ごしている留守家族の多くを安心させたことは事実である_たとえ一時的とはいえ。


またハガキが司令部にはあって末端部隊にはないことも確かに不公平であった。従って、もし問題になれば「留守家族の不安を鎮め、銃後の動揺を防ぎ、もって戦意を高揚せんとの純粋なる動機に基づく行為にして……」といった弁護は、事実の裏付けをして成立ったことであり、。そういわれれば、まず私自身がそれを信じてしまったであろう。


一番恐ろしいのはこの錯覚ではないであろうか。浅海特派員の誘いに対して、向井・野田両少尉にも最初は抵抗があったであろう。しかしお国のためとか、留守家族のためとか、戦意高揚のためとかという大義名分がつくと、とたんにその抵抗はなくなり、それらのため、自分が何か意義ある立派なことをしたように自己弁護し、まず最初に自分がそれを信じてしまったのであろう。


私は盗んだ。この盗みですら、美談にしようと思えばできる。まして二人は、何一つ盗んだわけではない。従ってその「自己美談化」は私よりはるかに抵抗は少なかったであろう。



この「美談化」がいかに恐ろしいかは、「週刊新潮」の浅海特派員の次の談話にはっきり現れている。

<……「諸君!」によれば、向井さんは”日中友好のために死んでいく”といっておられる。感銘を受けましたね。敬服している。今、田中内閣もようやく日中復交を言い出したが、あの二人の将校こそ、戦後の日中友好を唱えた第一号じゃないですか。こんな立派な亡くなり方をなさった人たちに対して、今はもう記憶の不確かな私が、とやかく言うことは良くないことだ。……私は立派な亡くなり方をなさった死者と、これ以上論争したくないな…>


偽証により二人を処刑場に送ったその人が、この処刑自体に一種の意義付けをし美談化し、それをまず自分が信じてしまう。私もそれをしたのだから、そのことに関する限り、私には人を批判する資格はないが、この行き方は盗みを正当化し、殺人を正当化し、これが政治的に大がかりに行われれば、結局「大量虐殺を正当化すること」になってしまうであろう。」


〇 特攻隊を美化するのも、同じ心理なのでしょう。