読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (S軍曹の親指)

「なれとは恐ろしいものである。彼らが出発して三十分たたぬうちに敵機が来襲したが、それは「日課」で、だれも気にとめなかった。ロッキードの双胴地上攻撃機六機が頭上を通過すると同時に、バリバリという物凄い音がした。しかし機銃掃射は、頭上で音がした時は絶対安全なことは、だれでも知っていた。


従ってK兵長がちょっと心配そうな顔をして「大丈夫でしょうか?」と言ったのは、言うまでもなくトラックで出発した一行のことであった。「大丈夫だ、もうラロについているはずだし、今の掃射はカタヤワンの船着場のあたりのはずだ」と私は何気なく答えた。



これが奇妙なぐらい当たっていたのである。車はラロより先に行くはずはない。カタヤワンはラロより先だし、その上、前述のようにラロは車なら十分の距離、従ってもう遮蔽物に入っているはずである。


敵機は大きく旋回した。今度はこちらかも知れぬ。しかしだれも慌てて壕に入ろうともしない。何しろ家という家はすべて蜂の巣のようになるほど連日機銃掃射を受けていたので、みな、もう麻痺していた。(略)


だがこのときの敵機の射撃は、何かひどく執拗であり、単なる威力偵察でなく確実な目標をつかんだ攻撃のように思えた。


当時のわれわれには、きまった睡眠時間はなかった。いわば敵機が来て壕に入ればその時が就寝、敵機が去って壕から出ればその時が起床であった。(略)


すぐ寝たかったが、しかしその前に本部へ電話をして、トラックを出したことの報告と、おそらく明日にも迫ったわれわれの撤収の打合せもしておかねばならなかった。(略)

私たちは、否私は、あまりに呑気すぎたようであった。昨夜N軍曹があきれたように「少尉殿ァ豪胆ですノー。衛兵も立てんで!左岸のゲリラに夜襲されたらドーされます。寝首かかれますぜ」と言われて、急にそのことも心配になったわけである。


もちろんこの「豪胆」は一種の皮肉で本当は「のんきすぎる」と言いたかったのであろうが、それに続く彼の言葉には別の皮肉も混じっていた。というのは、彼は「それにひきかえてオエラガタはみなオカシクなっとりますケン」と言って痩せ細った顔をゆがめて、ちょっと笑ったからである。


「オカシイ」というのは、今の言葉でいえば「ノイローゼ」であろう。
師団長のノイローゼはもう周知の事実、また先月、独歩の副官だったHさんから手紙をもらったが、彼の部隊長もノイローゼになり、奇言を発するのみで、全然指揮がとれなかったそうである。


私の部隊長は相当にしっかりしていたとはいえ、やはり、ややノイローゼの気味があった。上級者ほど多くの正確な情報が入り、また事態の深刻さを理解し得る立場にい、さらに「考える」という時間的余裕があるから、否応なしにノイローゼにならざるを得ない。
こういう場合にはわれわれ下級者の「多忙」と「肉体的過労」は一つの救いですらあった。」




「「N兵長殿から電話です、カタヤワン近郊にて機銃掃射をうく、S軍曹殿戦死、O伍長殿不明、人夫は全滅の模様」「ナニッ」一瞬、私には何のことやらよくのみこめなかった。すべてが、あり得ないことのように思えた。「そんなはずはない。カタヤワンに行くわけがない」私は思わず叫んだ。


I上等兵ははじめて私の顔を見た。そして言った。「それが、N兵長殿によりますと、師団兵器部のO中尉殿が、無理矢理、カタヤワンに車をまわさせたとのことで、参謀の指示とかで…」



「ナニッ」「師団兵器部の舟艇が機銃掃射を受け、浅瀬にのりあげているのを救出するのを援助しろといって…」
すべてが次第に具体性をおびてきた。(略)


「そして、N兵長は?」「足を撃ち抜かれ、カタヤワン近くからラロの兵器部出張所え這ってもどられ、そこから電話をしたと言われました」
この直後のことは、私の記憶と、後で人々が私に語ったこととが非常に違うので、いずれが正しいか私にもわからない。



私は確かに軍刀を刀帯からはずして左手でもった。しかしこれは単に駆け出す準備にすぎなかった。軍刀をぶら下げたまま駆けることは、それが足にからみつくようになるので、不可能に近い。


私は、唯一の望みを「O伍長殿不明」という言葉に託した。彼は生きているかも知れない。そこでただ一刻も早く現場に駆け付ける以外には何も念頭になかった。(略)


確かに、ドロガメの渾名があったK少佐参謀には、憤懣を通り越した嫌悪感はあった。彼の全く見境ない大言壮語や罵詈讒謗、だれかれかまわず撲り付け撲り倒すその発作的ヒステリーは前にも触れたが、これはもう周知の事実で、O中尉がその最大の被害者であることも、よく知られていた。


従って、カタヤワンで舟艇が座礁したなら、ヒステリーを起こして当たり散らしても不思議でない。それに耐えかねたO中尉が、またはそれを見かねた彼の部下が、ちょうどそこに来た砲兵隊の車に、何とか助けてくれと頼みこんだにしても不思議ではない。



さらにI上等兵の言葉から、私が瞬間的に以上のことを推察して、思わず「カメの奴!」と無意識で口走ったとして、これは当然にありうることであった。またたとえそれにつづいて「ブッタ斬ってやる」とか「叩っ斬ってやる」とか言ったというのが事実であっても、これは当時の軍隊的表現では、そう深刻な意味を持った言葉ではなく、今の一般社会の規準になおせば、せいぜい「ぶっ叩いてやる」か「ぶん殴ってやりたい」ぐらいの意味にすぎないはずである。(略)


しかし私自身は何一つ記憶していない。後からそのことを聞き、全く憶えがないので、非常に驚いた。」



「ラロの近くまで来たとき、不意にうしろでクラクションの音が聞こえた。思わず振り返ると、隊長乗用車である。(略)


「隊長の命令です。この車ですぐ現場に直行し、副官殿が来られて指示されるまで、現場におられるように…」私は、これを部隊長の「親切」と解し、乗用車を差し向けてくれたことを、内心深く感謝した。(略)


言うまでもなくこれは、私が司令部へ「斬り込む?」かと危惧した指揮班長のS中尉が咄嗟に乗用車で私を追わせ、「命令」で否応なしに現場に運ばせ、事態によっては副官に取り押さえさせるつもりだったのであろう。」