読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (S軍曹の親指)

「こういう場合、ナタか鋸の方が的確な道具であろうが、それは何か遺体に失礼だという気もした。墓を掘り起こすことも、手を引きだすことにも、確かに抵抗はあったであろう。しかしそういうこととは別に、親指を切り離すと二人と私との紐帯が切れてしまうような気がしたことも事実である。


そして二人がそれを拒否しているような気もした。もちろんこれは、私の感傷にすぎなかったであろう。_もっとも前述したように、死者への行為はすべて誰の場合でも、またどういう表れ方をしても、所詮、生者の何らかの欲求や情緒的満足感の充足に基づく行為にすぎないであろうが。



命令が出来るということは、確かに人間を卑怯にする一面がある。私は軍刀を腰からはずすと、鞘を持ち、柄をK兵長へ突きつけるようにしていった、「K、お前が切れ」。タイマツの赤い炎で下から照らされた彼の顔に、一瞬恐怖が走った。そして左手を胸のところにあげ、拝むような姿勢で私に言った、「少尉殿それだけは…」。私はすぐに自分に恥じた。



軍刀を放り出すと、地面に突き立ててあった円匙をとり、黙って、墓の右側を掘り起こした。S軍曹の手の位置は、よくわかっていた。墓は一メートル足らずで浅かった。円匙の先が「手」らしいものに触れる。

「死毒」という迷信(?)がわれわれにあった。もっともこれは科学的根拠もあるらしいが、われわれの死毒への恐怖は、医学的というよりむしろ何か迷信的であった。軍隊とは死への恐怖が表明できないため、それが死毒への恐怖に転嫁されたのではないかと思われる。


私は手に布をまきつけると、S軍曹の泥だらけの手をつかみ、力いっぱい引き上げた。腕は梃のように、土を押しのけながら上がってきたが、手を離すとすぐ穴底へもどる。そこで円匙を倒し、その柄を穴にさしわたして、手首をそれに立てかけるような形にしてから、水嚢に水をくみ、適当な木材を探して来てくれるようにK時兵長にたのんだ。



彼はタイマツをもって出かけて行った。急にあたりが暗くなった。私は遺体に背をむけ、ぼんやりと真っ暗な水田を眺めた。目が次第になれてくると、何か異様な影のようなものが、数珠つなぎになって、ゆっくりと移動しているように見えた。目をこらすと、それは、兵隊の列であった。


カタヤワンから丘陵地のジャングルまで、水田の中を一直線に走るトロ道の上を、砲弾や資材や糧秣を負った兵士が、背をかがめ、腰を落して、切れ目なく一列で、影のように歩いていた。人海作戦である。


不思議に音はなく、まるで亡者か亡霊の行列か影絵でも見るように見えた。飢えとマラリア疲労で、声を出す気力も音を立てる元気もないのであろうか。実際、あらゆることが、言動から行動から計画まで、すべてむちゃくちゃだった。すべての人に何一つ自信はなかった。何かを言い、何かをやらすということ自体が、すべて「これだけやったのだから……」という、自己満足のための行為にすぎないように見えた。



そしてその自己満足のため、次々と人間がすりへらされるようにして殺されて行く。
一体全体、何がゆえに砲兵隊のトラックをカタヤワンに急行させたのだ、なんのために人海作戦で兵士を心身共に消耗しつくして死に至らしめてしまうのだ。バレテヘの転進!そうなったらどうする、これだけの労力を投じたことを一切捨てて、また三百キロ歩けということか、歩いて行ってどうなる、第一、動けやしないではないか、結局は、すべての人が遅かれ早かれ野垂れ死にするだけ、そんなことは見ればわかるではないか。


私は不意に何もかもいやになった。何かから逃れたかった。といってもそれは自殺への誘惑でも逃亡への誘いでもなかった。そういった何らかの意味で積極性が必要なことは、具体的に考える力がないと、頭に浮かんで来ないものである。何と言ってよいかわからぬが、狂ってしまって、何もかもわからなくなりたい、と言った感じであった。


狂ってさえくれれば、そこにいても、別世界にいられる。そして人は、その人を別世界の人と認めてくれる、そうなれないか、といったような感情であったろう。



ジャングル内では、死期が近づくと、よく夢を現実のように感じ現実を夢のように感ずる妙な状態になる。向井少尉の遺書を見ると、処刑前の彼も、確実にこの状態に陥っている。狂いたい、と言った感じは、おそらく、この状態に陥る入口であったろう。」